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社説・コラム

憲法 解釈変更を問う 東京大法学部教授 長谷部恭男さん

立憲主義に反する行為

国益 影響及ぼす危険性

 国連憲章が集団的自衛権の行使を容認していることと、日本の歴代政権が行使を認めない解釈をしてきたことに矛盾はない。例えとしては、たばこを吸う権利はあるが、自分の健康や他人への迷惑を考えて吸わないのと同じ。日本の国益にもかなってきた。

 被爆地の広島市中区で生まれ育った。広島大付属高から東京大法学部卒。1995年に現職に就き、論壇でも活躍する憲法学者として知られる。

 憲法は国家権力の暴走を制約するためにある。これを立憲主義と呼ぶ。今たまたま政権を取っている勢力が自分たちの判断で憲法の解釈を変えます、というのはおかしい。立憲主義に反する。憲法を改正して集団的自衛権の行使を容認することはあり得るとしても、それには国民各層の十分な議論が欠かせない。

 日本が集団的自衛権を行使するケースとして、最も考えられるのは台湾の防衛だろう。自国領土の一部と主張する中国が武力行使に乗り出し、それを阻止したい米国が日本に協力を求める―。現実的なシナリオだと私は思うが、日本政府は議論の俎上(そじょう)にすら上げていない。そういうシナリオがあり得ることを理解し、議論を尽くすことの方が先ではないか。

 平和憲法の象徴でもある9条。自衛権との関係について、独自の視点で解説する。

 国民が国家に最も期待する基本的な任務は、国民の生命、財産、安全を守ることのはずだ。立憲主義は権力を制限することに加え、国民の持つ多様な世界観、人生観がなるべくフェアな形で共存できる枠組みをつくる意味も持つ。

 自衛のための最小限の実力は備えておくという9条をめぐる従来の政府見解は立憲主義に整合している。個別的自衛権だけでなく、集団的自衛権の行使まで容認したら「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とした9条の存在意義がなくなるのも同然だ。

 安倍晋三首相は、憲法解釈見直しに前向きな小松一郎・駐フランス大使を内閣法制局長官に起用し、解釈変更の作業を加速させている。

 内閣法制局は、政府の「法律顧問」。会社で言えば顧問弁護士だ。社長の考えから独立して客観的な答えを出すから、その見解には意味がある。

 しかし安倍首相は内閣法制局長官の首をすげ替え、「これをやりたい。だから合法だと言ってくれ」と無理やり答えを変えようとしている。それでは法律顧問の存在意義もないし、長官の見解は「お墨付き」には全くならない。

 時の政権の判断で勝手に憲法の解釈を変更できるとなれば、政権交代が起こった場合は憲法解釈もまた、コロコロと変わる可能性もあるということだ。政府の憲法解釈を極めて不安定にし、国益に影響を及ぼす危険性がある。おやめになった方がいい。(聞き手は松本恭治)

(2014年3月31日朝刊掲載)

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