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社説・コラム

私の学び 広島大国際センター研究員・小倉亜紗美さん

挑戦する心 高専で養う

 学生に2週間、海外の文化や環境を体験させるプログラムに携わっている。対象は1年生。今月も17日まで24人のベトナム行きに同行した。

 学生はすごく変わる。現地の学生がすらすら日本語をしゃべるのに、6年間英語を学んだにもかかわらず、彼らはうまく話せない。日本の常識が必ずしも世界の常識ではないと知り、枯れ葉剤の影響などベトナム戦争の傷痕にも触れ、帰ってくると多くが積極的に行動するようになる。

 自分はだいたいこれくらいと、あらかじめ限界を決め、挑戦しない子が多いんじゃないかと感じている。そう思う原点は、和歌山高専(和歌山県御坊市)の機械工学科で学んだ5年間。

 1学科1学級で、女子は一人きり。まず、女性であることを超えないと、休憩時間の話し相手もいないし、勉強の相談をすることもできない。自分で全てやることを求められた。もう一つ、大学受験を前提とする人が多い普通の高校と違い、偏差値教育とは離れたところを生きてきた。数字を見て、自分に枠をはめる、ということがなかった。

 環境問題への強い関心から広島大(東広島市)の総合科学部3年に編入し、大学院は生物圏科学研究科で学んだ。

 指導教官の中坪孝之教授には、挑戦する気持ちを引き出してもらった。研究さえしていればいい、という人ではない。「地域で活躍できる人になりなさい」と、いろんな道を示してもらった。

 東広島市を流れる黒瀬川の水質と暮らしの関わりについて調査した。20歳の時、先生に人前で講演する機会をいただいた。林業関係の団体の主催。2時間の持ち時間のうち40分を、私に話すようにと。

 当時の私は、話すことはできても、難しい質問が出れば答えられなかったかも。先生に、困れば僕が助けるからと背中を押してもらった。ちょっと背伸びをするくらいの挑戦の機会が何度もあった。

 中学1年の時に遭遇した阪神大震災が転機の一つ。母方の実家は全壊。バスケットボール部の仲間が亡くなった。急に転校した先で制服を世話してもらい、前の学校と進度の違う授業に戸惑っていると友達が助けてくれた。この恩返しができる人に、社会の役に立てる人になりたいと思った。(聞き手は金山努)

おぐら・あさみ
 兵庫県芦屋市出身。2009年3月、広島大大学院生物圏科学研究科博士課程後期修了。NPO法人瀬戸内里海振興会理事、西条・山と水の環境機構運営委員、エコネットひがしひろしま幹事。4月から広島大平和科学研究センター助教。

(2014年4月2日朝刊掲載)

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