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社説・コラム

天風録 「四国五郎さん」

 水の都と呼ばれる広島に10日ほど前、新たに三つの橋が架かった。本川と天満川、太田川放水路をまたいで高架が走る。多島美の海景が南に広がり、北は川の両岸に街並みと、その向こうにデルタを囲んだ山々を望む▲6本の川はわが街いちばんの自慢―。画家四国五郎さんは著書「ひろしまのスケッチ」に記す。川は暮らしとともにあり広島の歩みを見てきたとの思いだろう。新橋からの眺めを描いた絵も見たかったが訃報に接した▲作品も広島とともにあった。川沿いにびっしり連なるバラックを描いた油絵は、画面奥の相生橋を電車が渡る。復興を喜びつつ、原爆への怒りは消えない。「備忘ノタメ」。後に取り壊された家々の廃材で作った額に刻んである▲シベリア抑留から戻り、弟の被爆死を知った。峠三吉らと時代を告発していく。作品集「広島百橋」に一編の詩がある。「また巡ってきた真夏/トキワ橋は私にとって弟の墓標」。目にするのがつらい橋も川もあった▲それでも遠方から客があると、四国さんは必ず川べりを散策して案内したという。今、絵になる美しい河岸は、平和都市の象徴となった。あまたの死を知る流れであることも忘れてはならない。

(2014年4月3日朝刊掲載)

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