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連載・特集

東友会の50年 <上>

政府・国会へ核廃絶訴え 被爆者援護運動を率先


■記者 道面雅量

 都内に住む被爆者でつくる東京都原爆被害者団体協議会(東友会)が結成50周年を迎えた。「あの日」の体験を共有する人たちが、存在が埋もれがちな大都会の中で支え合い、核兵器廃絶の声を上げ続けた歩みを振り返る。

 「われら生命もてここに証す 原爆許すまじ」-。東友会の合言葉である。「思想や信条が違っても、『再び被爆者をつくるな』の一点で行動してきた」。11月8日にあった50周年記念式典で、藤平典(とうへい・のり)副会長(80)は胸を張った。

 核廃絶や被爆者援護をめぐる政府や国会への要請行動で、首都在住という地の利を生かして先頭に立つ。原水爆禁止運動が分裂する中でも団結を保ってきた。結成は1958年11月16日。都内に13あった被爆者の会が集まり、港区で結成総会を開いた。

 前年、国費による被爆者の健康診断などを定めた原爆医療法(被爆者援護法の前身)が成立。各地で医師らと連携した被爆者の会ができ、健康相談、診断を進めつつあった。

 結成宣言に「お互いの健康を保持し生活を向上させる」「原水爆のないほんとうの平和にする」とうたう。

 「略称」がなぜ「東友会」なのか。現会長の飯田マリ子さん(77)は「『原爆』とか『被爆』の文字が入るのは困るという声が多かった。郵便物などで分かっちゃうでしょ」と言う。差別的な視線にさらされてきたことを物語る。

 草創期は苦労の連続だった。「病院の待合室で漏れ聞いた会話から『私も被爆者なの』と声を掛けたり、栄養がつくようバターを持って訪ねたりして仲間を増やした」と飯田会長。経済的に苦しい家庭が多く、会費集めもままならなかった。

 折り鶴をデザインしたバッジの販売などで会計を支えた。62年から都の被爆者相談業務を受託し、運営が安定。昨年度は1万8000件を超える相談を受け、手当の申請などを手助けしている。

 原爆症認定制度の改善でも、東友会は厚生労働省前の座り込みなどで運動を率先した。副会長で原爆症認定集団訴訟の全国原告団長も務める山本英典さん(75)は「国に核被害を軽視させないための闘いであり、核廃絶につなげたい」と話す。

 一昨年からは、東京大空襲の被害者らと連携して平和行進「浅草ウオーク」を毎年10月に行っている。「同じ戦争被害者でありながら、なかなか実現できなかったこと」と山本副会長。きずなを外へ広げる試みも続く。

(2008年11月26日朝刊掲載)

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