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連載・特集

核兵器はなくせる 第2章 放射線被害訴える住民 インドの関連施設周辺

■記者 林淳一郎

 インドの核施設周辺で住民が健康被害を訴えている。がんや不妊が目立つとの調査もあり、住民や地元医師らは放射線の影響ではないかと疑念を募らせる。隣国パキスタンや中国に対抗して核兵器開発を進め、経済発展も著しい南アジアの大国。一方そこには、貧困にあえぐ子どもたちを支え、一緒に原爆劇を上演する一人の広島出身者の姿もあった。

がん・不妊の多さ目立つ

 インド東部ジャルカンド州の農村地帯、ジャドゥゴダ地区にウラン鉱山がある。地元の住民団体、ジャルカンド放射線反対同盟(JOAR)のガンシャム・ビルリ代表(43)に一帯を案内してもらった。  突然、高さ数十メートルの土砂の壁が現れた。その上をトラックが行き来している。

 「鉱山の廃棄物を捨てているんだ。水や土を汚し、住民の健康を脅かす一因になっている」とビルリ氏が苦々しい表情で説明する。ここでのウラン採掘は1960年代に始まり、インド国営ウラン会社(UCIL)が管理しているという。

 近くの村。住人の気配が感じられない。「マスコミと接触しないよう圧力がかかっているんだ」。ビルリ氏と車に乗り込み、村を離れる道中で「政府の警備」という車とすれ違った。

 住民の健康被害について、2007年にインドの医師連盟が調査した。その結果、鉱山近くの5つの村で、がんで家族を亡くした世帯の割合は2.87%。30-35キロ離れた地域の1.89%を上回った。不妊率は高く、寿命は短い傾向もみられた。

 昨年秋には、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)のティルマン・ラフ理事=オーストラリア=がジャドゥゴダを訪れ、「人々が危険な状態にある」と警鐘を鳴らした。

 ビルリ氏も1984年、鉱山労働者だった父を肺がんで失った。2年後に母もがんで他界した。「住民の多くは放射線の怖さを理解していない」。2000年に広島を訪問して以来、毎年8月6日に集会を開き、核被害関連の映画を上映している。

首腫れた女性

 南部の大都市チェンナイから約70キロ南のカルパッカム地区を訪ねると、インド洋を一望する海岸沿いに原発や原子力研究センターがみえた。

 地元のV・プガゼンディ医師(42)と、周辺に点在する漁村を巡った。約170戸の村で、首が腫れた女性を頻繁に見かけた。「この村だけで35人に症状が出ている。甲状腺がんのケースもある。放射線の影響ではないか」

 別の村では、昨年まで原発の清掃などをしていたという男性(30)に会った。結腸がんを患い、治療費が払えずに自宅を売却。ヤシの葉で編んだ8畳ほどの小屋で暮らしている。

 「政府は原因を究明しようともしない」とプガゼンディ医師。「核の被害を知る広島をはじめ、国際社会の助けが必要だ」と訴える。別れ際、強く手を握りしめてきた。

広島出身の中山さん 現地の子と原爆劇上演 「被爆地の心を伝えたい」

 見上げる空に原爆がさく裂し、子どもたちが倒れる-。南部バンガロールの中心にある小さなホールで、広島市東区出身の中山実生(みおい)さん(31)が原爆劇の指導に熱を入れていた。

 演じるのは10代の17人。武装警察に雇われていた子、親の借金の肩代わりに売られたという子…。どの子も最近まで路上生活をしていた。

 「インドの人々に被爆地広島の心を届けたい。原爆劇はその挑戦です」。中山さんの家族に被爆者はいない。広島への原爆投下はインドでも広く知られる。それでも、きのこ雲の下で起きた悲劇は伝わりきっていないと痛感するから。

 世界第2位の人口11億人余を抱えるインド。識字率は約65%(2001年国勢調査)とされ、働く子どもの数は1億人以上ともいわれる。

 中山さんは大学時代に東京の非政府組織に加わり、インドの児童労働問題と向き合った。2005年、彫刻家ジョン・デバラジ氏(52)と、路上生活の子どもを支援する「ボーンフリーアートスクール」を設立。簡易ホテルに子どもを泊め、通学させてと学校に依頼する。そうした活動の傍ら、昨年夏から子どもたちと原爆劇に取り組んできた。

 原爆投下の1年後に咲く白い花をモチーフに、命の再生を描く物語。デバラジ氏が原作を担当し、中山さんも舞台に上がる。バンガロールの学校を巡回し、これまでに計40回の公演を重ねた。

 昨年11月には約4000キロ先のパキスタンを目指す自転車の旅に挑んだ。ムンバイでのテロの影響で国境越えはかなわなかったが、立ち寄った学校で劇を上演。反響は大きく、「子どもも犠牲になる戦争はいけない」と児童たちから計7000通の手紙が寄せられた。

 旅に参加したスブラマニ君(14)は3年前まで、父の借金を返すためココナツ売りをしていた。「お金を戦争や核兵器にかけるなんて変だよ。僕は子どもを助ける社会福祉士になりたい」

 そんな夢を聞くたびに、「未来を担う子どもたちが、社会を、政治を変えてくれる」と中山さんの信念はさらに強くなる。

(2009年4月12日朝刊掲載)

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