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連載・特集

核兵器はなくせる 第3章 モンゴルの挑戦 <1> 新たな安全保障

■記者 吉原圭介

一国非核 世界に宣言 大国の間 対話で活路

 東西冷戦の時代、モンゴルは旧ソ連の支配下にあり、核弾頭を搭載できる中距離弾道ミサイルが配備されていた。それが1990年の民主化を転機に、一国だけの「非核兵器地帯」の地位を国際社会に認めさせるユニークな取り組みを続けている。したたかに大国を動かす「遊牧の国」をめぐった。

 標高1310メートルの高原に広がる首都ウランバートル。中心部を横断するエンフタイバン(平和)大通りは、街路樹が春の芽吹きを迎え、行き交う日本車のクラクションが連鎖する。約60年前、ソ連に抑留された旧日本軍兵士が建てたという外務省がそこにあった。  一室に招かれ、非核政策を貫く経緯をツェデンダンバ・バトバヤル政策顧問(51)に尋ねた。著書「モンゴル現代史」は日本でも出版されるなど外交史の権威だ。

 「モンゴルはロシアと中国に挟まれた小さな国。民主化した新しい国は、軍事ではなく外交と政治で安全保障を確保しようと考えたんですよ」。インタビューに時折混じる日本語は、ソ連で学んだという。

 92年9月、米ニューヨークの国連本部。プンサルマー・オチルバト大統領が演説した。「地域と世界の軍縮、信頼強化のためにモンゴルは、国土を非核兵器地帯と宣言する。それが国際的に保障されるよう、適切な政策に取り組む」

 さらに98年12月、国連総会で「モンゴルの一国非核の地位」を認める決議を得た。宣言だけで終わらせず、大統領命令で核兵器保有国に専門家を派遣し、説得を続けた成果だった。

 入院中のオチルバト元大統領は中国新聞の文書インタビューに答え、「5大国は慎重だったが、わが国の政策や方針を粘り強く説明し理解してもらった」と振り返る。

 課題は足もとにもあった。国連での宣言や決議の意義が国内に浸透していなかった。当時の国連大使たちが国会議員向けの資料を作り、勉強会を重ねて理解を促した。一国非核地位が国益と安全を守るための最も平和的な選択だと説いた。こうして2000年には国内法として非核兵器地位法を制定した。

 次の挑戦はロシア、中国との3カ国条約の締結。今年3月にはスイス・ジュネーブで両国と意見を交わした。モンゴルとしては、核兵器が領域内を通過した場合などへ罰則を盛り込むなど法的拘束力を持たせたい考えだ。

 「非核政策の完成度はまだ80%くらい。この条約ができて、やっとゴールだと私は思います」。バトバヤル顧問は口元を引き締めた。

(2009年6月1日朝刊掲載)

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