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連載・特集

核兵器はなくせる 第3章 モンゴルの挑戦 <2> 脱「核の傘」

■記者 吉原圭介

不拡散など積極貢献 安全保障の模索続く

 首都ウランバートルの中心から東へ車で約30分、舗装されていない道を走った。「石炭の町」ナライハ区のはずれ。草原の向こうに戦闘機の格納庫が見えてきた。旧ソ連軍が駐留した基地は現在、モンゴル空軍が使う。

 ゲートに向かう道沿いにソ連軍の遺物があった。コンクリート板にロシア語で「革命は堅持することに意義がある」「われわれのスローガンは一つ、軍事知識を学ぶことだ」とある。レーニンの言葉だ。

 ソ連の強い支配から脱したモンゴル。非核兵器地帯の形成を目指した民主化以来の政策はすなわち、ロシアの「核の傘」から抜け出すことを意味する。

 「モンゴル領土は中国側に突きだした形をしているでしょう」。国家安全保障会議戦略研究所のセレテル・ガルサンジャムツ防衛部長(57)が地図を指しながら非核政策の意義を説明する。「ソ連はモンゴルを(中国に対抗する)足がかりに使っていた。守られてはいたけれど、核兵器に頼れば逆に、モンゴルが攻撃される可能性もあった」

 中ソ対立が深まった1960年以降、ピーク時には約7万5千人のソ連軍兵士が駐留し、基地は大規模なものだけで6カ所あったという。  しかし、「核の傘」から抜け出ることで、自国の安全保障に不安はないのだろうか―。

 そう尋ねるとガルサンジャムツ氏は少し考え、きっぱり否定した。「ない。かつてはソ連以外の国とは関係も持てなかったのが、自立国家として行動できるようになった。以前から徴兵制(18~25歳のうちの1年)はあったし、国家予算に占める軍事費の割合も必要以上に伸びていない」

 ガルサンジャムツ氏が指摘するように、非核政策は核軍縮・不拡散分野での積極的な国際貢献を可能にする。政府が4月下旬にウランバートルで主催した非核兵器地帯に関する国際会議もその一つだ。

 会議の冒頭、モンゴル政府は国内課題を進んで明らかにした。8千キロ以上の国境線があり、放射線の探知機器も足りないため、例えばテロリストが核兵器や部品を領域内通過させたとしても十分な検証ができないという。

 一方、そのための専門家育成などの対策に着手しているとも説明した。「核抜き安全保障」への模索は続く。

 会議の議長を務めたジャガルサイハン・エンクサイハン駐オーストリア大使は、個人的見解と前置きしながら強調した。「日本も早く『核の傘』から抜け出したほうがいい。被爆国日本が先例になることに、大きな意味がある」

(2009年6月2日朝刊掲載)

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