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連載・特集

原爆を問う 2人の被爆科学者の軌跡 <6> 継承

■記者 森田裕美

悲惨な事実 正確に 心の葛藤にも踏み込む

 葉佐井博巳は沖縄行きの資料を広げた。沖縄戦での学徒たちの犠牲を今に伝える「ひめゆり平和祈念資料館」(糸満市)が、戦争体験のない世代を「証言者」として育成するという。被爆体験継承のヒントになればと訪問を思い立ったのだ。

 「年を取ると、時がたつのが本当に早い。焦るよ」

 同級生で同じ物理学者の沢田昭二とは対照的に、葉佐井は被爆者運動や原水爆禁止運動と距離を置いてきた。原爆の残留放射線の測定に没頭してきた。しかし2005年に広島国際学院大の学長を退いて以降、「被爆の記憶」を次代に継承する取り組みに情熱を注ぐ。

 それまで、原爆投下翌日の入市被爆体験をほとんど語ってこなかった。炎の中を逃げ惑った体験はない。「自分は死に損ない」「語るのはおこがましい」と逃げてきた。

 昨年から、その証言活動を精力的に続ける。「被爆者は高齢になった。記憶の風化や継承の必要性が叫ばれて久しい。だが、だれもが模索するばかりで何もできていない。このままではまずいと思ってね」

 証言を始めるにあたり、葉佐井は原爆資料館(広島市中区)に登録している被爆証言者約30人すべての講話を修学旅行生に交じって聞いた。原爆の熱線を直接浴びた人が多い。葉佐井が知らない生き地獄を語る。そんな証言をつぶさに聞き、むしろ「自分は原爆を体験していない人に近い。その点で役立てるかもしれない」と思い始めたという。

 昨年12月から今年4月まで、月2回の勉強会「ヒロシマ継承の会」を主宰した。資料館の案内ボランティアらに呼びかけ、被爆証言を聞いてどう感じるか、自分に何ができるかなどの意見を交わした。

 そんな議論を通じて再認識したことがある。「実体験のある被爆者は記憶を頼りに素直に話せばいい。体験のない世代は、正しい知識と事実に基づいた内容を伝えるしかない」。5月中旬、考えをまとめ、資料館の前田耕一郎館長に人材育成プログラムや伝える方策を提言した。

 葉佐井は今も、自分が証言しない日に、ほかの証言者の話を聞いて回る。和解や平和の象徴に思われがちな被爆者に、原爆を落とした米国への憎しみは本当にないのかを意識しながら、耳を傾ける。メモを取る。きれいごとでは済まされない被爆者の心の葛藤(かっとう)も後世に残したいからだ。

 「あらゆるものを原爆に奪われ、すぐに平和を語れやしない。それが人間」

 終戦の日、「自分の目で見て確かめたことだけを信じる」と誓った。その64年前の決意が、核兵器の威力に向き合う科学者としての基本姿勢を支えた。原爆がもたらした人間的悲惨を確かめ、正しく継承することが、被爆者としての責務になった。

広島の被爆証言活動
 修学旅行や平和学習などで被爆地を訪れた人に体験を語るため、個人で活動している被爆者のほか、証言者を派遣する団体も多くある。二つの広島県被団協を含む19団体はネットワーク「被爆体験証言者交流の集い」をつくって協力し合っている。

(2009年7月8日朝刊掲載)

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