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連載・特集

ヒロシマ精神養子 第1部 日米・親と子の手紙から <4>

■特別取材班 田城明、西本雅実

あこがれ 異文化に目見張る

 20年代半ば。世界一豊かなアメリカとまだ戦争のつめ跡が深い日本。精神親と広島戦災児育成所の子供たちが、手紙の中で一番多く触れている身近な暮らしぶりの中に、両国の生活水準や生活様式の差がくっきりと浮かぶ。カリフォルニア州の母は14歳の日本の娘に米国の少年、少女の様子を次のように書いている。

 《あなたの妹のパットはちょうど今「プログレッシブ・ディナー」に出かけたところよ。これはね、友達30人と一緒に最初の家で飲み物をいただいて、次の家でサラダ、今度はドライブをしてその次の家でディナーをとるの。最後はここへ来てデザートというわけ。面白そうでしょう=主婦・27年3月16日付》

 ヤミ米を買い辛うじて飢えをしのいだ育成所開設当初に比べ、27年には食糧事情もやや好転していた。しかし、約100人の育ち盛りの子供たちの胃を満たすにはほど遠い状況だった。母の手紙が伝える内容は娘や他の子供たちにとって信じ難い世界であった。15歳の少年がカリフォルニア州の高校教師の母にあてた便りにも当時の生活レベルの違いがにじむ。

 《お母さんは家にも学校にもテレビジョンがあって野球の試合が見られるのでほんとにいいですね。僕たちはテレビジョンがないので、五級スーパーのラジオでそちらのワールドシリーズを聞きました。僕もジャイアンツが好きです。でもヤンキースに負けて残念でしたね=中学3年・26年11月13日付》

 夏休みに入ると多くの親が、大自然の中でキャンプを楽しんでいる様子や、車で何千キロも旅行しているさまを旅先から絵はがきなどで伝えてきた。

 《私たちは夏休みになってからウィスコンシン州のギルバート湖畔に来ています。あなたも夏休みを楽しんでいることでしょうね。8歳のキャロルは「あなたと一緒に魚釣りをしたり森の中を走り回れたらいいのに」と残念がっています=主婦・27年8月8日付》

 湖畔でのキャンプ、釣り、森の散歩…。子供たちは精神親の手紙から「アメリカの豊かさ」を感じ取っていった。そればかりでなく復活祭や感謝祭などの宗教行事、音楽や演劇、若者のデートの習慣から大統領選挙に至るまで幅広くアメリカ社会について触れた手紙に、異質の文化を持つ国への関心と夢を広げた。

 《僕は社会科でアメリカが大変文化の進んでいることや科学が進歩していることを習いました。アメリカでは今、大統領の選挙戦が盛んなことでしょう。僕たちも今度の大統領にはだれがなるだろうと非常に興味を持っています=中学2年・27年3月15日付》

 オハイオ州の両親にあてた14歳の少年の手紙である。また、16歳の少年はペンシルベニア州の父に夢を語る。

 《写真を見て、僕の心はおどっています。あー、あの広いグラウンドで多くの友達と野球、テニスなどをする日が来ると信じます=高校1年・26年4月27日付》

 精神親との交流が深まれば深まるほど、子供たちのアメリカへのあこがれは膨らんだ。それは、実の親と暮らす一般の子供とは、明らかに異質の体験だった。


精神親の内訳
 29年2月末現在、広島市渉外課がまとめた精神親の数は、ヒロシマ・ピース・センター分を除き270人。このうちグループによる精神親は37団体。州別ではカリフォルニア州の41人をトップに、北はアラスカ州から南はフロリダ州まで36州に及んでいる。

(1988年7月17日朝刊掲載)

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