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連載・特集

ヒロシマを撮る 5人の軌跡 <3> 土田ヒロミさん

■記者 守田靖

老いと心境変化追う 再び取材 「辞退」記録も

 「約束だった。私が還暦になったら、また撮影に来るよ、と」

 4年前、被爆60年を迎えた広島の被爆者の肖像を収めた写真集「HIROSHIMA ヒロシマ2005」(NHK出版)を刊行した。被写体となったのは、その26年前にまとめた写真集「ヒロシマ1945~1979」(アサヒソノラマ社)で撮影した被爆者たちだ。20年以上の時を経て、連絡が取れた29人の「その後」を写した。

 1冊目と同じ小学校を背に、変わらぬ元気な顔をのぞかせた女性。ケロイドがあるからと体を制服で覆っていた男性は今回、上半身裸の姿を誇らしげに見せた。

 還暦、そして定年退職―。人生の節目をみんなどう越えていくのか。それが前回の撮影以来、気掛かりだった。中には、前回は撮影を拒否し、今回は承諾してくれた人も。「この年まで生きることができた喜びもあったでしょう。『体験を伝える役割がある』と心境が変化したことも」。自身と同世代の被爆者たちの老いを見つめた。

 29人の中で4人が亡くなっていた。また、前回に続いて取材や撮影を辞退した人が4人。「辞退者がおられることは予想していた。その事実を記録したいと思った」。写真集では、辞退者にも同じ量のページを割いた。自宅近くなどゆかりの場所を写し、「辞退」という言葉を添えた。

 2005年、「戦後も還暦」と言われた。何かを見限るようなニュアンスに焦りを覚えた。8月6日に広島市で開かれたさまざまなイベントが、お祭り騒ぎのように感じた。「喧騒(けんそう)の陰で、被爆者は静かに生き続けている」。その重みを、取材「辞退」という事実で写し出した。

 会社勤めを経て31歳で独立。戦争を忘れつつある日本を記録したいと願った。特に「人間の尊厳を喪失させるほどの原爆による破壊は、記録されなければならない人類史の惨事」。そう思いながら取材の手掛かりを探しあぐねた。思いついたのが、広島大教授だった長田新(おさだ・あらた)さん編集の被爆体験記「原爆の子」に手記を寄せた186人全員に会うこと。出版から20年が経過し、どこに住んでいるかも分からない。関係者をたどり、4年がかりで107人と接触。77人を写した。それが1冊目に結実した。

 被爆者だけでなく、広島の風景を一定間隔で撮る「定点観測」も続ける。79~83年に市内の被爆建物や橋、樹木など約70地点を大判カメラで撮影。89~94年に同じ被写体を同じ位置、角度から撮った。写真の中の被爆樹木は老い、いくつかの被爆建物が消えた。わずか10年の隔たりでも、「被爆」「戦後」を失い続ける街の姿は明白だった。

 「写真が得意なのは現在と向き合うこと。ただ、それを残していくには、被写体を情緒たっぷりに『寄り』で追ってもダメ。その人や建物が立っている場所全体を『引き』で写したい。引いた画面の中で、あるものが消えたり、新たに何かが生まれたりする。それがヒロシマや日本の現在であり、そこに住む人の意識なんだと思う」

 来年、3度目の定点観測をする。何回かに分けて夏に滞在し50地点は撮る予定だ。「定点観測は100年続ければ貴重な資料になる。ただ体力的なこともあり、来年は自分で撮る最後かな。若い人が継いでくれないだろうか。今のうちに撮影場所を伝えておかないと」。真剣な表情を一層、引き締めた。

 つちだ・ひろみ
  福井県生まれ。福井大工学部、東京綜合写真専門学校卒。1971年、ポーラ化粧品を退社し、独立。同年、太陽賞受賞。昨年、第27回土門拳賞を受賞した。写真集に「ヒロシマ・コレクション」「ヒロシマ・ドキュメントⅡ」「砂を数える」「俗神」など。69歳。 東京都品川区在住。

(2009年7月30日朝刊掲載)

 

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