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連載・特集

復興の象徴は今 平和都市建設法60年 <1> 街路樹

■記者 迫佳恵

 原爆で壊滅したヒロシマ復興の礎となった広島平和記念都市建設法が1949年に制定され、今年で60年を迎えた。「恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴」を目指し、旧軍用地の無償払い下げなどの特別助成が基盤整備を支え、理念は街づくり全体の方向性をも示してきた。法整備を原動力に生まれた広島市内の「復興の象徴」を訪ねる。

 平和記念公園(広島市中区)南東の平和大通りで空を見上げると、視界いっぱいに緑が広がる。10メートル前後の間隔で植えられたクスノキ。枝が水平に伸び、重なり合う。夏の日差しをさえぎる「自然の天幕」だ。

 57、58年度の「供木運動」で広島県内各地から樹木約6千本が提供された。クスノキもその一部。市公園整備課は「当時、運びやすいように頂上部分を高さ約6メートルに切りそろえた。植えた後、主幹が伸びず、横へと広がった」とみる。枝ぶりが復興の軌跡を物語る。

 ただ、貴重な樹木が東西約3.5キロにわたって茂るオアシスは近年、規模が縮小している。市民グループ「平和大通り樹(き)の会」の調査では、枯死や台風、シロアリの被害などで、樹木の種類が25年前の約200種から約170種まで減少。3メートル以上の高木は約2千本しかない。

 「樹木は広島に集まった善意の象徴。愛着を持って、受け継いでいかなければ」と同会の六重部篤志代表(66)=安佐北区。月1回の観察会を続ける。

 木々は、観光客が原爆資料館で見学を終えて、館外へ出るとすぐ目に飛び込んでくる。「75年間は草木も生えない」といわれたヒロシマの緑。一層輝いて見えるに違いない。

 <メモ>
 広島市は1957年、「広島の地を永遠の緑でおおわれた平和郷に」と訴え、広島県民から樹木の提供を呼び掛けた。クスノキやケヤキなど約6千本が植えられた平和大通りは、平和記念都市の理念を象徴する存在となった。

(2009年7月27日夕刊掲載)

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