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連載・特集

復興の象徴は今 平和都市建設法60年 <5> 原爆資料館

■記者 迫佳恵

 原爆資料館(広島市中区)の本館を20本の柱が支える。高床式の構造が生み出す地上部分の空間に、人々が集う。高さは約6メートル。真夏の日差しをさえぎるだけではない。約500メートル先の世界遺産・原爆ドームと原爆慰霊碑を一直線で見通せる配置になっている。平和記念公園を設計した建築家の故丹下健三が考えた。

 丹下が資料館を設計するに当たり、抱いたイメージは「廃虚のなかから立ち上がってくる力強いもの」。南側の平和大通りから公園に入る際の「門」の意味も込めた。

 平和記念公園は、「恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴」(広島平和記念都市建設法)の一つとして1954年に整備された。資料館は翌年に完成した。当初は、破れた服や瓦など原爆の被害を示す資料や写真パネルの展示だけだった。やがて被爆前の軍都広島の歩み、復興、核問題を紹介する「平和学習の場」も加わった。

 昨年度の入館者は約136万人。開館した翌年度の約23万人から6倍近く増えた。外国人は年間入館者の13%の約18万人。統計を始めた38年前の約5万人から3倍強となった。

 見学した米ニューヨークの高校3年ニコール・チュロースキーさん(17)は「原爆の恐ろしさに触れれば、世界中の人が協力して核兵器をなくそうとするはず」と力を込めた。

 <メモ>
 平和記念公園は、設計コンペに入選した当時東京大助教授だった丹下健三のグループの案が採用された。1994年には資料館東館を新築した。本館は2階建て一部3階建てで、延べ1600平方メートル。東館は地上3階、地下1階で、延べ1万300平方メートル。

(2009年8月1日夕刊掲載)

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