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連載・特集

『生きて』 前広島市長 平岡敬さん <1>

■編集委員 西本雅実

核兵器を問う 人間の側からとらえる

 被爆の実態を見つめ、核兵器のない世界に向けて行動する。それを「ヒロシマ人(びと)」と呼ぶなら、平岡敬さん(81)は代表する一人だろう。2期務めた広島市長を退いて10年。公職時代を含め半生の歩み、考えてきたことを語った。

 「核の傘」がないと日本の安全が本当に保てないのかどうかを、政権交代した今こそ真剣に議論すべきだと思う。核兵器が存在する限り人類は滅亡するかもしれない。これが64年前の体験から生まれた思想であり、突き詰めれば戦争否定です。

 これまで政府は、冷戦終結後も米国に付いていけば大丈夫という外交政策を続けた。核超大国の米国でオバマ大統領が誕生し、「核のない世界を追求する」と演説(4月にチェコ・プラハで)したが、全文をよくみると彼も核抑止論に立つ。米国の核戦略をもっと冷静に見なくては。広島市はオバマ支援のキャンペーンを始めたけれど、「オバマ頼み」は「核の傘」に依存する米国頼みの精神構造と同じですよ。

 日本が「核の傘」の下にいる限り、北朝鮮に非核化を求めても説得力はない。中国やロシアに「核廃絶」を言っても、なかなか信用されない。「核の傘」がないと、どこかが攻めてくると主張する人がいるが、じゃあ、攻めてこられるようなことを日本はしているのか。敵視されないあり方を考えていくのが、政治の務めでもある。

 市長だった1997年8月6日の「平和宣言」で、「『核の傘』に頼らない安全保障体制構築への努力」を、歴代市長として初めて政府に求めた。

 戦争はしない。そうすると、日本は外交の力で平和を保っていくしかない。外交力をもっと鍛えなきゃあいけない。米国との交渉はやってきたけれど、アジア、あるいは世界のさまざま国との外交をあまりしていない。われわれ自身がもっと自前で考えなくてはいけないところだ。

 核兵器を国家や国際政治の力関係からではなく自らの、人間の問題としてみる。その考えは広島で新聞記者となり、被爆者を取材するなか培われた。尊敬する先輩にも教えられた。僕の戦争体験も影響している。国家なんて弱い者を真っ先に見捨てる。その理不尽さは戦争という極限状況で現れる。僕はそれを育った朝鮮でみた。

(2009年9月29日朝刊掲載)

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