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核密約文書を保管 「合意議事録」 佐藤元首相の遺族

 沖縄返還交渉中の1969年、当時の佐藤栄作首相がニクソン米大統領と交わした有事の際の沖縄への核持ち込みに関する密約文書を、佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、判明した。佐藤氏の次男佐藤信二元運輸相が明らかにした。

 密約の存在は対米秘密交渉にかかわった国際政治学者が著書で暴露していたが、文書そのものは未確認で外務省も存在を否定してきた。一連の密約を調べている外務省有識者委員会の調査結果に大きな影響を与えそうだ。

 信二氏によると、文書は1969年11月の日米首脳会談で極秘で交わされた「合意議事録」。沖縄返還にあたっては核兵器撤去と日米安全保障条約の適用を意味する「核抜き・本土並み」が条件とされていたが議事録では、日本や極東の有事の際には米側は「日本と事前協議を行った上で、核兵器を沖縄に再び持ち込むことと、沖縄を通過する権利が認められることが必要だ」と要請。

 日本側は「事前協議が行われた場合、遅滞なくこれらの必要を満たす」と応じた上で「ホワイトハウスと首相官邸のみで保管し、最大の注意をはらい極秘に取り扱う」と確認している。

 議事録の末尾には、佐藤、ニクソン両氏の直筆の署名がされているという。文書は佐藤氏の妻寛子さんが死去した1987年当時、東京・代沢の邸宅を整理した際に見つかり、その後、遺族が保管していた。信二氏は「沖縄返還は父の悲願。(文書が)どういう意図で作られたか分からないが、父の署名があり、米国と約束があったのは事実なのだろう」と話している。

 秘密交渉に当たった国際政治学者の若泉敬氏(故人)は1994年出版の著書で(1)日米が核持ち込みと繊維問題について2通の秘密合意議事録を作成した(2)首脳会談でニクソン、佐藤両氏が大統領執務室隣の小部屋で2人きりで署名する段取りになっていた―と暴露。

 公開済みの米公文書には2人が小部屋に入る記述があるが、合意議事録は公開されていなかった。沖縄には1954年以降、ピーク時で約1200発の核が配備された。

残る3件の調査に拍車 我部政明琉球大教授(国際政治)の話

 密約文書は状況からみて間違いなくあると思っていたが、当時、ニクソン米大統領の交渉相手だった佐藤栄作首相本人がひそかに保管していたと知って驚いた。キッシンジャー大統領補佐官と秘密交渉に臨んだ国際政治学者の若泉敬氏に、佐藤氏は「処置した」と答え、破棄したと思われていた。自分の業績を後世に残したいという人間の悲しいさがを感じる。四つあったとされる日米間の密約のうち、これで1件は決着し、残る3件の調査にも拍車がかかるだろう。


合意文書保管 核密約の存在が確定 沖縄返還へ「代償」受諾


 1972年に返還された沖縄への核兵器の再持ち込みを認めた「沖縄核密約」を記した文書は佐藤栄作元首相の遺族によって保管されていた。外務省の調査でもこの密約に関する文書は発見されておらず、「合意議事録」の存在が今回確認されたことで、密約が歴史的事実であることが確定した。

 沖縄核密約をめぐってはこれまで、日米の関連文書から〝傍証〟がいくつか見つかっていた。それらをひもとくと、「核抜き本土並み」の沖縄返還という内政上の最優先課題を達成するために、米側が求める密約締結を「代償」として受け入れ、最重要機密を墓場まで持っていった親米保守政治家の実像が浮かぶ。

 米公文書によると、沖縄返還交渉が大詰めを迎えた1969年秋、米軍首脳部は有事に備え、返還後の沖縄に将来核を再持ち込みできる権利を温存すべきだと米政権内で主張。「ニクソン大統領が沖縄からの核撤去を決定するなら、緊急時の(核の)貯蔵と立ち寄りの権利に関する機密の合意が必要」と力説し、沖縄核密約の締結を促した。

 こんな米軍部の要求を受け、佐藤首相の密使を務めた国際政治学者の若泉敬氏が、キッシンジャー大統領補佐官と密約文書づくりに着手。若泉氏の著書によると、1972年の沖縄返還が決定する1969年11月の日米首脳会談の直前に同氏はワシントン入りし、キッシンジャー氏とひざ詰めの交渉を行い、英文の合意議事録案を練り上げた。

 佐藤氏の日記にも、日米首脳会談を控え、首相本人と若泉氏が頻繁にやりとりする経緯が記されている。会談のために首相がワシントン入りした同11月17日には「食事中、東京若泉君からの変名電話。むつかしい点は大統領との直接取引きか(原文のまま)」との記述が見受けられる。

 「大丈夫だよ。愛知(揆一外相)にも言わんから。(密約文書を)破ったっていいんだ」。若泉氏によると、佐藤首相は、こう言明したことがあるという。

 国民の間で大きな期待が高まっていた「核抜き返還」の是非をめぐっては、米側の意向で最終決定が首脳会談まで先送りされており、佐藤氏は密約を結んででも「核抜き」の成果が欲しかった。

 そのためには腹心の愛知外相にすら、秘密交渉の内実を伝えず、「核抜き」実現の代償ともいえる沖縄核密約を自分の胸の内にしまい込む覚悟を決めた。国民に対しては「密約はない」とのウソがつき通された。

 「中国が核を持つなら日本も持つべきだ」との持論を抱き、自身が提唱した非核三原則を「ナンセンス」と酷評したことがある佐藤氏。「核の傘」を信奉する保守政治家にしてみれば、密約があろうがなかろうが、有事における沖縄や本土への核持ち込みの腹を固めていたのかもしれない。

(共同通信配信、2009年12月23日朝刊掲載)

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