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連載・特集

核兵器はなくせる 「核の傘」をたたむ日 <14> 

■記者 「核兵器はなくせる」取材班

「非核」の先達 決別こそが安全導く

 核兵器を持たず、保有国の「核の傘」にも頼らない道を選んだ国がある。ニュージーランドやモンゴルはいち早く、核兵器との決別こそが自国に安全をもたらすとの政策に転じた。欧州でも今、従来の核政策を見直す動きが出始めている。それは、「核の傘」への依存から抜けだせない被爆国日本に、新たな道を示してくれる。

ニュージーランド 
市民後押し 条約も締結

 ニュージーランドの非核政策の起点は、東西冷戦期に米国や英国、フランスが南太平洋で繰り返した核実験だった。身近な海の汚染、核戦争の危険性が、国民に強い反核意識を根づかせた。

 「核兵器反対だけではなく、環境が壊されるとの市民感覚が運動を盛り上げ、国の非核政策にも反映された」。ニュージーランドの政策に詳しい広島市立大の上村直樹教授(国際政治)が指摘する。

 1984年の総選挙。非核政策を公約に掲げ、反核平和団体の支持を受けた労働党が勝利した。故ロンギ氏が首相に就任。核搭載艦船だけでなく、原子力艦船の寄港も受け入れない厳格な政策を推し進めた。

 米国は反発する。1986年、ニュージーランドへの防衛協力義務停止を決めた。「核の傘」の解消だ。軍事同盟そのものも事実上打ち切られることになる。

 上村教授は「もともとロンギ政権は『核抜き安保』を目指した。だが、時代は核軍拡競争のさなか。米国にその考えを受け入れる余地はなかった」と分析する。しかし、その後もニュージーランドの非核政策はぶれなかった。支えたのは市民の力だという。

 反核平和団体に同調する女性たちが、家庭や職場にステッカーを張るなどして「非核地帯」を宣言する運動を展開した。自治体にも宣言を働きかけた。人口は国全体で約330万人。合意形成も進みやすかった。

 南太平洋非核地帯の創設にも尽力した。同国が中心になって国連総会に提案。オーストラリアの政権交代もあって実現への機運は一気に高まり、1986年に16カ国・地域を対象に条約が発効している。

 ロンギ政権は1987年、非核法を制定し、核兵器の取得や保管、実験も禁じた。ロンギ氏は1992年に来日した際、横浜市であった国際会議で講演し、米国の圧力の下で非核法を制定した苦労を語った。

 1998年にインド、パキスタンが核実験をした直後、ニュージーランドはスウェーデンやエジプト、メキシコなどとともに「新アジェンダ連合(NAC、7カ国)」を結成した。2000年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議でNACは、核保有国と非同盟諸国との橋渡し役に。議場での討議や舞台裏の調整を主導し、核兵器廃絶の「明確な約束」を明記した最終文書採択の大きな原動力となった。

ニュージーランド 転換の背景は
PNND国際コーディネーター アラン・ウェア氏に聞く

 核軍縮・不拡散議員連盟(PNND)国際コーディネーターを務めるニュージーランド出身のアラン・ウェア氏に、同国の非核政策について聞いた。

結果的には貿易額増加

 威嚇的な核体制を維持するより、周辺地域を非核化する方が平和と安全にプラスとなる。日本にとってもそうだ。

 ニュージーランドでは、かつては軍国主義の日本から、戦後は旧ソ連の脅威から自分たちを守ってくれたのは米国だとの意識が強かった。しかし、米国と英国、フランスが南太平洋で行った核実験への強い反発が、非核地帯条約と非核法づくりへの機運を高めた。

 東西冷戦期にあって、西側の盟主に「核兵器を拒否する」と表明するのは大変なこと。国内の保守派はロンギ首相に激しく反発し、米国のレーガン大統領はニュージーランド製品のボイコットを検討した。

 しかし結果的に、両国の貿易額はロンギ政権の間に逆に増え、非核法は国内で党派を超えた理解を生んだ。一時的に対米関係が停滞しても「しゃっくり」のようなもの。軍事的な関係が2国間のすべてを規定するのではないことを学んだ。

政権内から根強い抵抗

 政策の大転換への抵抗はすさまじい。最も根強い抵抗は政権内、特に変化を嫌う政治家や官僚の間にある。それを乗り越えるのは世論の支持だ。われわれが幸運だったのは、ロンギ首相の指導力と強い意志があり、国民の間に非核の考えが浸透していったことだ。

 ニュージーランドが果たしたのは非核化だけではない。太平洋諸国との協力関係を強化し、東ティモールなどでの国連平和維持活動(PKO)に積極的に参加している。「核の傘」ではなく、多国間の協調で安全保障を強化した。

 もっとも隣国のオーストラリアは、南太平洋非核地帯条約に加盟しながら、いまだに米国の核の傘の下にいる。核兵器を必要とする脅威は存在しないのだから、直ちに傘から出るべきではないか。

北朝鮮説得 議論の好機

 日本も含めた北東アジアにとっても、まず北朝鮮が核放棄し、日本、韓国との3カ国で非核兵器地帯条約を交わす。さらに核兵器を保有する米国と中国、ロシアに、核攻撃をしないとの「消極的安全保障」を約束させる―。そんな手順が考えられる。

 北朝鮮を交渉に巻き込むのは困難だろう。しかし、NPTへの復帰、非核兵器地帯への加盟を促す際に「核兵器を放棄した方が安全だ」と説得できるはずだ。今はその議論をする好機ではないか。

 日本でも国民が声を上げ、世論を盛り上げて政府を後押しする努力を続けてほしい。

アラン・ウェア氏
 1962年、ニュージーランド生まれ。ビクトリア大ウェリントン校卒。法律家として各種の世界的な反核運動のコーディネーター役を務める。国際平和ビューロー(スイス)副代表。


モンゴル 
大国抜きの安保を追求

 1992年の国連総会でモンゴルのオチルバト大統領が訴えた。「地域と世界の軍縮、信頼強化のため国土を非核兵器地帯と宣言する」。冷戦終結を機に、隣接する旧ソ連の支配下から脱して民主化を進めた同国。新たな安全保障政策として打ち出したのが非核地帯宣言だった。

 1998年に国連は「一国非核の地位」を承認する。国連大使などとして推進役を果たした現駐オーストリア大使のエンクサイハン氏は「ロシアが軍隊を引き揚げた新たな状況に即し、かつ核兵器から自国を守る方法として考えた」と振り返る。

 かつて旧ソ連の核兵器が配備され、中国とも接するモンゴルにとって、非核政策の本質は大国の核政策への拒絶を意味する。核拡散にくみしないとの意思表明でもある。

 モンゴルは1993年、ロシアと友好協力条約を締結。領土内での核兵器の配備や通過を認めないことを確認した。中国、米国、英国、フランスとも相次いで交渉し、核兵器の使用や威嚇をしない「消極的安全保障」などを約束させていった。

 2000年には国内法も整備。核兵器の開発や生産だけでなく、部品などの領土通過も禁じている。2009年4月には首都ウランバートルで非核地帯国際会議を開くなど「核抜き安保」の追求を続ける。

 2006年にモンゴルを訪れ、オチルバト氏から非核政策の経緯を聞いた広島修道大の城忠彰教授(国際法)は「一方的な宣言にとどまらず、粘り強い外交を重ねた努力が光る」と評価する。

 課題は法的拘束力をどう持たせるかだ。現在もロシア、中国との3カ国条約締結へ、協議を重ねている。


NATO諸国 
「冷戦の遺物」撤去議論

 欧州にある「冷戦の遺物」は、北大西洋条約機構(NATO)諸国に米国が配備している戦術核だ。冷戦終結から20年。その撤去が議論され始めた。

 ベルギーでは2005年、上下両院が段階的撤去を求める決議をした。2009年10月には核兵器の製造や移送、貯蔵を禁止する法案を上院に提出。今月19日には政府報道官が、NATO加盟5カ国が米戦術核の撤去を求める共同声明を近く発表すると明らかにしている。  ドイツでは2009年10月、連立政権が誕生した。連立合意文書は「残された核兵器のドイツからの撤去を求める」と明記する。

 NATO域内の核弾頭はピーク時、7千発を超えたとされる。全米科学者連盟の推計によると、現在は5カ国の計6空軍基地に150~240発。数は減ったとはいえ、普段は駐留米軍が管理し、戦時には配備国が使用する「核の共有」態勢は変わっていない。

 ただ、NATO体制の中で、1国の判断だけで撤去が実現できるわけではない。NATO自体がその核政策をどう見直していくか。

 「戦術核撤去に向けた各地の取り組みは、欧州全体で米国の『核の傘』を問い直すための機運を高める」とドイツの核軍縮専門家レギーナ・ハーゲン氏は指摘する。その盛り上がりの先に、中欧非核兵器地帯が見えてくるとの期待も込める。


<各国の非核政策の歩み>

1986年12月 南太平洋非核地帯条約が発効
1987年 6月 ニュージーランドが非核法を制定
1989年12月 米国とソ連が冷戦終結を宣言
1992年 9月 モンゴルのオチルバト大統領が国連総会で「非核兵器地帯」宣言
1993年 1月 モンゴルがロシアと友好協力条約を締結
      10月 中国の外務省報道官が非核兵器国としてのモンゴルを歓迎・支持すると表明▽
          米国がモンゴルに対して核兵器の使用・威嚇をしないことなどを確認
      11月 英国も同様の表明
1994年 1月 フランスがモンゴルへ核兵器の使用・威嚇をしないと確認
       4月 モンゴルと中国が友好条約。非核兵器地位の尊重などについて共同新聞発表
1998年 6月 ニュージーランドなどが「新アジェンダ連合」を結成
      12月 国連総会が「モンゴルの一国非核の地位」決議を採択
2000年 2月 「モンゴルの非核兵器地位に関する法律」制定。
       5月 核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、核兵器全面廃絶への「明確な約束」など
          13項目の行動計画について合意。新アジェンダ連合も尽力
      10月 国連総会第1委員会で5核兵器保有国が「98年の国連総会決議実施のために
          モンゴルに協力する誓約を再確認する」と共同声明。11月に国連総会で歓迎する
          決議
2001年 9月 札幌での非政府専門家会議で、モンゴルの非核地帯宣言に法的拘束力を
          持たせるため、核兵器保有国との条約締結を求める提案
2005年 4月 ベルギー上院が欧州に配備された米国の戦術核の段階的撤去などを求める決議
          を採択。7月に下院も決議
2009年 4月 モンゴル政府がウランバートルで非核地帯国際会議を開催
      10月 ベルギーの上院が核兵器の製造、移送、貯蔵を禁止する議員立法を上程
       同  ドイツで連立政権が誕生。連立合意文書で、国内に配備された米国の核兵器撤去
          を求める

(2010年2月21日朝刊掲載)

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