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非核を問う 「密約」報告書公表 <下>

■記者 岡田浩平

日本被団協事務局長 田中熙巳氏

 ―核持ち込みの「密約」を被爆者としてどう受け止めますか。
 「密約」文書の有無にかかわらず、核搭載艦船の日本寄港についてのラロック米退役海軍少将の証言(1974年)などから持ち込みはあると思っていた。「密約」が結ばれ持ち込まれていたとしても驚きはない。歴代政権だけでなく日本全体として黙認してきたのが残念だ。

 ―外務省有識者委員会の報告書では「密約」の背景に冷戦環境と国民の「反核感情」の「容易ならざる調整」があったと指摘されています。
 被爆者は「核兵器と人類は共存できない」と言い続けてきた。核兵器で日本を守るという考えにも反対だ。核兵器はいらないというのが国民の意思である以上、米国に対して持ち込みを拒絶するのが政治の責任ではないか。密約の理由にはならない。

 ―岡田克也外相は17日、将来の有事の際の核持ち込みを排除できないとの認識を示しました。
 唯一の被爆国として何をなすべきか政治家も官僚も分かっていない。彼らと話すたびに痛感する。もし攻撃されたらどうするのかという議論に必ずなるが、核兵器で反撃すれば何百万人もの市民が犠牲になる可能性がある。多くの命と引き換えに守る国とは何なのか。原爆にあったからこそ、そう思う。

 いかなる場合にも、日本は核兵器による攻撃、防御に加担するべきではない。同盟国であっても米国が核を使うのは許せないとはっきり主張すべきだ。

 ―非核三原則をどう堅持させますか。
 日本被団協は非核三原則の法制化を主張し続けてきた。あらためて昨年から法制化を求める署名活動とともに、地方議会での意見書採択に全国で取り組んでいる。運動を通じ、非核三原則とは何か、なぜ守られなかったのか、核の傘との関係はどうなのかなど国会などでしっかり議論してもらうのも狙いにある。政権交代した今だからこそ、法制化の世論づくりを進め、政府に対して国民の意思をはっきり示したい。

たなか・てるみ
 旧長崎中1年の時に爆心地から3.3キロの自宅内で被爆。東北大助教授を退職後、日本被団協事務局に入り2000年から現職。77歳。

(2010年3月23日朝刊掲載)

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非核を問う 「密約」報告書公表 <上>(10年3月23日)
非核を問う 「密約」報告書公表 <中>(10年3月23日)
 

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