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連載・特集

似島 眠りから覚めて <5> 

■記者 桜井邦彦、加納亜弥

平和を学ぶ 身近にあった戦争 実感

 完全な形の頭骨が地表から顔を出し、こちらを見ている。目と目が合う気がしてくる。似島中(広島市南区)の生徒たちが、学校のすぐ南隣で進む原爆死没者の遺骨発掘現場を訪ねてきた。

 まゆをしかめる生徒もいる。それでも3年の向江まどかさん(15)は、遺骨をしばらく見つめ続けた。「いつも普通に通っていた場所なのに…」

 発掘に携わる作業員の住田健治さん(45)が説明を始めた。「ここに5体分の頭骨が並んどった。脚の骨は折り重なっとった」。およそ60センチ四方の小さい穴を見て、生徒たちは息をのんだ。そして静かに手を合わせた。

 「むごい」「あんな狭いところでかわいそう」「自分と同じ年ごろの人もおったんかな」。生徒たちは率直な思いを語った。持参した花を遺骨に手向けた。

 宇品港の入り口にあって、数々の軍施設が張り付いていた似島。今回の隣接地を発掘した1971年の調査で推定617体の遺骨が出たのを機に、戦争の加害と原爆の被害の歴史を同時に学ぶ格好の場として訪れる人が増えた。

 島に渡るフェリーの船内で、似島汽船は「ふるさと似島」を販売する。B5判、96ページの郷土誌は、戦時中の写真や島内の戦跡めぐり地図、島民の証言も収める。

 事務長の浜本義幸さん(50)が編集し、1988年から10回以上の改訂を重ねる。子どもたちを引率する先生や親たちに評判がいい。「何より自分自身の平和学習になった」と浜本さん。

 似島学園高等養護部の荒木洋治園長(67)=東区戸坂惣田=は6月下旬、遺骨が見つかったのを機に似島小を訪れ、児童たちに自分の体験と島の歴史を話した。

 広島県北に学童疎開していた荒木さんは原爆に遭っていない。だが、爆心地から1キロ以内の十日市町(中区)にいた両親を失った。「あのひもじい思いを、今の子どもたちに感じてほしくない」と何度も繰り返す。

 「平和とは何か」とよく子どもたちに問い掛ける。「戦争がない状態」「今の日本」…。さまざまな答えをどれも否定しない。ただ、「戦争はいけない。死んでしまえば終わりだから」と思う。

 似島中の生徒に発掘の様子を語った住田さんは、同中のPTA会長でもある。1971年の調査の時、中学生だった。原爆も戦争も知らない世代だが、発掘現場には自ら足を運んだ。それから30年余り。「今ごろの子は、さほど関心がないんかのお」。首をかしげながらも、現場見学を勧めた。

 似島中の全校生徒は33人。発掘現場を1、2回見学した後、授業であらためて被爆と島の歴史を学んだ。なぜ骨が出てきたのか知らない生徒たちも、決して少なくなかったからだ。

 間近に見た原爆の犠牲。生徒は「戦争が本当にあったと実感した」と口をそろえた。向江さんは「戦争を始める前に、世界がどう仲良くしていけばいいか考えたらいい」と、しっかりした口調で話した。

(2004年7月20日朝刊掲載)

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