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連載・特集

似島 歳月を超え 被爆59年の夏 

■記者 桜井邦彦、加納亜弥

地中の記憶 鎮魂の似島 帰郷を待つ遺骨・遺品

 発掘作業に携わる複数の島民は「遺骨が出る日は、土から独特のにおいがたちのぼる」と言う。被爆五十九年。非業の死をとげた被爆者の無念が、大地に染み込んでいるからだろうか。

 広島市南区の似島。市が進める原爆死没者の遺骨発掘現場は、鎮魂の思いに包まれている。

 頭蓋(ずがい)骨、大腿(だいたい)骨、粉々に砕けた骨片。20人近い作業員は全員が島の人たちだ。はけを使って土を払い、そっと骨を掘り出す。炎天下の汗だくの作業。立ち会う市職員とともに遺骨を1体分ずつ並べ、ひつぎに納めていく。

 バックルやボタン、腕時計などの遺品も交じる。最も近くにあった遺骨を包む白布に、その品名を書き、身元判明につながる手がかりを待つ。

 市から調査を請け負い、作業員を統括する地元土木会社の住田吉勝社長(52)は、現場に慰霊の石碑を建てた。

 東広島市の佐藤月子さん(64)は今月7日、その石碑に水を手向けた。爆心地から約700メートルの西地方町(中区)で被爆した母の上野ム子(むね)さんは3日後、似島に運ばれる途中に息を引き取ったという。28歳だった。「母の骨は戻って来ませんでした。でも島でお参りでき、気持ちが落ち着いたように思います」

 宇品の沖約四キロに浮かぶ似島。5月末の調査開始以来、これまで推定62体の遺骨が掘り出された。発掘は今月下旬まで続く。終了後、遺骨は59年ぶりに海を渡り、平和記念公園(中区)の原爆供養塔に納められる。

(2004年7月20日朝刊掲載)

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