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HICARE 発足から17年 ヒバクシャ医療国際支援 成果着々

■記者 吉原圭介

 被爆者の犠牲のうえに蓄積された、ヒロシマの医療の経験を役立てよう―。崇高な理念から発足した放射線被曝(ひばく)者医療国際協力推進協議会(HICARE=ハイケア)。チェルノブイリ原発事故など被曝関連被災者への医療支援で実績を重ねて17年、ここ数年は在外被爆者の支援も重点事業に加わった。現在は「次のステップへの過渡期」(土肥博雄会長)だ。主な活動である研修受け入れと、医師などの派遣について、現状と課題をみた。

15ヵ国から261人研修受け入れ 帰国後の連携課題

 「そこね」。ブラジル人医師ルシー・アケミ・マツモトさん(37)=小児血液学=が黒く浮かんだがんを見てうなずいた。小児がん患者の磁気共鳴画像装置(MRI)の写真。患部の確認作業だ。広島市南区の広島大病院で、HICAREが受け入れた261人目の研修が進んでいた。

 2月28日に広島入りし、川口浩史小児科病棟医長たち医師の外来診療を見学。骨髄移植にも立ち会った。今月25日まで同病院のほか、広島赤十字・原爆病院、広島原爆障害対策協議会などでも検査技術研修を受ける。

 HICAREは1991年から、ロシアや韓国など15カ国の医師たちの研修を受け入れてきた。

 2005年秋にカザフスタンで研修経験者11人にアンケートをしたところ「がんなどの診断がより容易になった」「胃や乳腺の検診方法が役立っている」などの声が寄せられた。広島での研修が現在の医療活動に役立っているかの問いには7人が「大変役立っている」、残り4人も「役立っている」と回答した。

 訪問した事務局の八幡毅書記は「修了者が学んだことを同僚に教えるなど輪が広がっていた」と手応えを感じる。

 一方、課題もある。

 例えばブラジル。広島で放射線被曝医療の知識や技術を身につけた医師たちが帰国後、個々には活躍しても、連携して原爆被爆者の検診などをできる状態にない。

 研修受け入れ担当の船岡徹書記は「日本と違って医師同士の横の連携が弱く、広大な国の中で修了者が散在している」と指摘する。被爆者の高齢化が進む中、現地で、被爆者の抱える不安や特有の症状などを知る医師らの重要性は増している。再々行ける距離ではなくブラジル国内で医師が連携し、自発的に検診などをしてもらえるよう、修了者のネットワーク作りと、広島とのパイプ役となるコーディネーター養成が急務だ。

 また約970人の被爆者が暮らす米国からの研修者が少ないのも課題だ。被爆者数は海外では韓国に次いで2番目に多い。しかし研修者は17人と、ロシアの4分の1。98年から2005年までは1人も来日していない。研修期間が1-3カ月間と長いため、仕事を休みにくいという声もある。1週間の短期プログラムをつくるなど対策を始めたところだ。

 2つのヒバクシャ。減っていく原爆被爆者と、新たに生まれ続ける放射線被曝者。その双方をよりケアするため研修者をどう招き、どう活躍してもらうのか。新たな「知恵」が原点広島に問われている。

医師ら166人海外へ派遣 運営充実へ効果を検証

 旧ソ連の核実験場があったカザフスタンへの検診技術指導や、チェルノブイリ原発事故の復旧作業者の健康問題に関するロシアでの国際会議出席…。HICAREはこれまで16カ国に166人を派遣した。さらに国内では1999年に茨城県で起きた東海村臨界事故にも医師や放射線技師たち9人を派遣している。主要事業の1つ、緊急医療支援だ。

 もっとも、これまでは現地での技術指導や医療支援とともに、シンポジウムや国際会議に出席するための派遣も多かった。最近では「研修や派遣の効果の検証」(2007年、ベラルーシ)「研修生とのネットワークづくり」(06年、米国)「帰国後の医療活動などを調査」(04年、韓国)という内容が目立つ。「過渡期」の認識の下、HICAREの運営に関する内容が増えた。

 第二代会長を務めた広島原爆被爆者援護事業団の鎌田七男理事長はHICAREについて「広島県民にあまり知られていないのが残念だが、ヒロシマの負の体験から生まれたノウハウを世界のヒバクシャのために使う取り組み。県民に誇りに思ってもらえる仕事だ」と評価。

 今年イタリアで明らかになった、ステンレス鋼材に放射性物質コバルト60が含まれていた問題など、新たな放射線被曝事故が今も起きていることを例に挙げ「まだまだHICAREの役割は続く」と今後の活動に期待する。

HICAREの土肥博雄会長に聞く

 ―この17年間の活動をどう評価しますか。

放射線被曝の緊急支援としてスタートし、行くべき場所には一通り行ったし、来るべき人には研修に来てもらった。次のステップへの過渡期だと考えている。2002年度に国が在外被爆者支援に乗り出してからは、HICAREの重点事業に加わったが、緊急支援から在外被爆者支援へと軸足を移すのではなく、双方を充実させる活動を続けていきたい。

 ―長崎にはHICAREの翌年にできた長崎・ヒバクシャ医療国際協力会(NASHIM=ナシム)があります。HICAREと連携を求める声も出ていますが。

同じ趣旨の組織なので事業内容は重なっているが、どういう形で、何をどうするかなど具体的な話にはなっていない。検討課題。まずは事務局レベルでどうするかを詰めた方がいいと思う。

 ―次のステップは。

在外被爆者支援を現地でより自発的なものに変えていくことや、新たな放射線被曝事故を起こさないために放射線についての知識などを途上国に伝えることも重要になる。1992年に広島での治療や研究を集大成した本を出版し、世界でバイブルのような存在になっている。その後チェルノブイリなどでの新しい知見も得られた。データも更新して改訂版を作りたい。

HICARE(ハイケア)
 1991年4月、被爆者治療の実績と放射線障害に関する研究の成果を、世界のヒバクシャのために役立てようと発足。その目的のために集まった広島県内の主要医療関連機関の集合体で、県と広島市が現在年間約2300万円の予算を折半して負担する。

 理事には県・広島市の医師会長や広島大病院長、放射線影響研究所理事長、広島原爆障害対策協議会長たちが名を連ねる。

 チェルノブイリ原発事故(86年)やブラジル・ゴイアニア市であった医療用放射線源事故(87年)などでは、広島の病院や研究所の医師たちが支援したものの、それぞれの対応では費用や要員確保などの課題も多かったことが発足の背景にあった。

 主な事業は(1)各国の医師や看護師、研究者たちの研修受け入れ(2)海外での技術指導や国際会議への医師らの派遣(3)広島での放射線関連の講演会開催による啓発活動など。

 事務局は広島県庁内の県被爆者・毒ガス障害者対策室内にあり、県と広島市の職員8人(うち嘱託1人)が本来業務と兼務している。

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