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連載・特集

「黒い雨」解明に挑む 最新調査研究 成果と課題

記者 明知隼二

 原爆投下直後、放射性物質とともに降った「黒い雨」について、ここ1年ほどの間に報告された各種の調査結果は、従来の説を覆す可能性を秘めている。その広島市の大規模住民アンケートや専門家たちの研究は、どこまで実態を明らかにしたのか。雨はどの範囲に降り、人々にどんな影響をもたらしてきたのか。調査研究の経過と到達点、今後も残る論点を整理してみる。

「降った」線引きに異論

 国は現在、黒い雨が降った範囲を、原爆投下直後の1945年の調査を基に設定している。しかし、そのエリア外でも雨が降ったとする証言は多いうえ、村落が川一本を隔てて大雨地域(第1種健康診断特例区域)と小雨地域に分断されたケースもあり、住民から「線引き」への異論は絶えない。

 このため、大雨地域の外側で雨に打たれた住民たちが中心となって、指定地域の拡大を求めて行政への陳情を重ねてきた。広島県原爆「黒い雨」の会連絡協議会の高野正明会長(72)=広島市佐伯区=は「がんなどの病気を抱える人が多い。国は大雨と小雨の線引きをする前に、雨が降った事実をまず認めてほしい」と訴える。

 「黒い雨はもっと広範囲に降った」との調査結果を88年に発表した元気象研究所研究室長の増田善信さん(86)も「45年の調査は当時としては最善の努力をしたが、サンプル数などに限界があった。金科玉条にしてはいけないのではないか」と指摘する。

 厚生相(当時)の諮問機関である「原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)」は80年、被爆地域の拡大などは「科学的・合理的な根拠のある場合に限定すべきだ」と答申した。とはいえ、降雨域や健康への影響を科学的に示すことは当時も今も極めて困難なのが実情だ。

 厚生省が76、78年、爆心地から半径30キロの範囲で実施した土壌調査でも、戦後の核実験による放射性降下物の影響もあって、広島原爆に由来する残留放射性物質を見つけることはできなかった。

 広島県と広島市が88~91年に設置した「黒い雨に関する専門家会議」も土壌や黒い雨体験者の細胞などを調べたが、「現時点では放射能の残存も人体への影響も見いだせない」と結論づけた。


床下の土 放射性降下物を検出
きのこ雲  写真解析で高さ2倍
健康不安 未指定地域でも訴え

 そうした現状の打開につながる可能性がある研究結果が、ここにきて相次いで報告されている。

 広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)の星正治教授や京都大原子炉実験所の今中哲二助教らのグループは、戦後の核実験による放射性降下物の影響を避けるため、原爆投下時から核実験が始まるまでの間に建てられた家屋に注目。その床下の土の分析を続ける。すでに指定地域の外側で、広島原爆に由来するとみられる放射性降下物を検出した。

 また広島市立大大学院情報科学研究科の馬場雅志講師は、原爆きのこ雲の全体像をとらえた米軍撮影の写真を解析。地形などと照合し、きのこ雲の高さを地上約16キロと推定した。これは専門家会議が推定した約8キロと比べると2倍の高さ。雲が高いことは、放射性物質がより高く舞い上がり、より広範囲の地表に降り注ぐ可能性を示すことになる。

 広島市は2008年、被爆の心身への影響を探ろうと、専門家らでつくる市原爆被爆実態調査研究会を再設置。広島県とも協力して約3万7千人を対象にアンケートを実施し、うち約900人には個別面談もした。

 黒い雨を体験した時間や場所を回答した1565人分について原医研の大滝慈教授が解析。広島市の東側と北東側を除くほぼ全域と周辺部で黒い雨が降ったとの結果を得た。これは現在の「小雨地域」に比べて約3倍の広さとなる。

 研究会はさらに、専門的な指標を用い、未指定地域の黒い雨体験者が深刻な健康不安などを抱えている実態も明らかにした。市はこの結果を基に、国に指定地域の拡大を要望する。また気象シミュレーションなど、さらなる実態解明に向けた調査も準備している。

 被爆が健康に及ぼす影響については、最新の科学でも解明できていない部分が少なくない。黒い雨の関連でも、内部被曝(ひばく)や低線量被曝の程度とその人体影響についてはほとんど分かっていない。

 ただ、専門家会議の委員を務めた鎌田七男元原医研所長(73)は、黒い雨の人体影響を解明する困難さを認めた上で「入市被爆が認められるようになったのも最近の話で、それ以前は全く問題にされていなかった」と指摘する。星教授も「今ある知識だけで『影響はありえない』と言うことはできない」。より多くの科学者が、未解明の現象に向き合うことを期待する。

 「黒い雨の影響でないとしたら、私たちの病気はどうしたら説明できるのでしょう」。体験者の問いかけに対する模索がなお続く。


原医研・神谷所長に聞く

今後は気象学的検証も

 「黒い雨」の実態解明に向け、広島市原爆被爆実態調査研究会の座長を務めた広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)の神谷研二所長に、現状と課題を聞いた。

 今回の市の大規模なアンケートでは、黒い雨の降雨域は45年の調査で得たエリアよりも広いとの結果を得た。それは増田善信氏が示した降雨域に近い。さらに信頼性を高めるために、今後は気象学の専門家たちが異なる見地から検証することが重要だろう。また、原医研の星正治教授らが取り組んでいる土壌調査も、降雨域を証明する一つの糸口になりうる。

 今回のアンケートのもう一つの大きな成果は、被爆者や黒い雨体験者が今なお抱える「心の傷」を初めて科学的に明らかにしたことだ。調査を受けた人の4~5割が今も放射線による健康不安を訴え、1~3%が今もなお心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱えている深刻な実態も浮き彫りになった。精神的な影響が肉体の不調を引き起こす可能性にも注意する必要があるだろう。

 こうした大規模調査は今回が最後になるのではないか。つまり、この調査結果をどれだけ施策に生かせるかが問われる。指定地域外の黒い雨体験者は国の健康診断を受けることができず、不安を募らせている。その不安が健康に悪影響を及ぼす可能性も含め、健康管理のための定期的な健康診断や心理的影響へのケアなどの対応が行政に求められている。

 黒い雨の放射線による健康影響については直接被爆に比べると線量は低いとみられ、現在の技術では解明できないのが実情だ。しかし現在、遺伝子の解析技術は驚くべき速さで進歩している。まだ研究の積み重ねが必要な段階ではあるものの、65年前に放射線が遺伝子に残した「爪痕(つめあと)」を発見できるようになる可能性は生まれつつある。実現は今後の課題と言えるだろう。


<「黒い雨」をめぐる経過>

1945年 8月 広島と長崎に原子爆弾投下
      12月 広島管区気象台(当時)の宇田道隆技師らが「黒い雨」の調査結果をまとめる。降
           雨エリアは爆心地から北西方向に延びる長さ29キロ、幅15キロの卵形の範囲。
           うち長さ19キロ、幅11キロの卵形の範囲で1時間以上の激しい雨が降った、とし
           た
1957年 4月 原爆医療法施行
1973年11月 広島県と広島市が沼田町(現安佐南区)や佐伯郡(当時)などの約1万7千人を対
           象に、黒い雨の降雨状況や健康状態のアンケートに着手
1974年 7月 県・市が調査結果を発表。4割が「病気か病弱」、2割が「原爆投下後に急性症状
           あり」
1976年 5月 厚生省(当時)が黒い雨地域の残留放射能調査を開始
       9月 原爆医療法施行令改正。「大雨地域」を健康診断特例区域に指定
1978年 7月 小雨地域の住民たちが「黒い雨・自宅看護原爆被害者の会」を結成
1979年 5月 厚生省が76、78年度の調査を基に「放射能の残留はなく、地域拡大の必要は認
           められない」と報告
1980年12月 原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)が意見書。被爆地域指定については
           「科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行うべきだ」
1987年 5月 元気象研究所研究室長の増田善信氏が「黒い雨は従来の降雨地域の2倍の範
           囲に降った」と気象学会で報告
1988年 3月 増田氏が再調査を基に「降雨範囲は従来の4倍」と発表
       8月 県・市が「黒い雨に関する専門家会議」を設置
1991年 5月 専門家会議が「現時点では放射能の残存と人体への影響は認められない」と報告
1995年 7月 被爆者援護法施行
1996年 9月 葉佐井博巳広島電機大教授らが被爆直後に広島市内で採取された砂を分析。従
           来の降雨域の外で、黒い雨に由来するとみられる放射性物質を検出
2001年12月 広島市が市原爆被爆実態調査研究会を設置
2002年 4月 長崎被爆で国が、被爆による心理的影響があるとして、爆心地から半径12キロを
           「第2種健康診断特例区域」に指定
       8月 広島市が被爆体験の心理的な影響の解明に向け1万人を対象にアンケート
2004年 1月 広島市がアンケートの分析結果を発表。「黒い雨の体験者は今も心身への影響を
           受けている」とし、国に指定地域拡大を要望
2006年 8月 国は「科学的、合理的根拠になりえない」と地域拡大を認めず
2008年 4月 広島市が市原爆被爆実態調査研究会を再組織
       6月 広島市が約3万7千人を対象に原爆体験者等健康意識調査を実施
2010年 3月 長妻昭厚生労働相が市の調査について「正式な結果を専門家に分析してもらい、
           対応が必要であれば検討する」▽広島市が調査結果を報告


黒い雨
 原爆投下直後に降った放射性物質や火災によるすすを含む雨。広島管区気象台(当時)の宇田道隆技師らが1945年に市内外で実施した聞き取り調査を基に、爆心地から北西方向の長さ約29キロ、幅約15キロの卵形のエリアに降ったとされてきた。
 国は76年、中でも激しい雨が長時間降ったとされる「大雨地域」(長さ約19キロ、幅約11キロ)を「健康診断特例区域」に指定。その地域内で雨を浴びた住民は被爆者同様の健康診断を無料で受けることができ、がんや肝硬変など国が定める病気が見つかれば、被爆者健康手帳を取得することができる。一方、「小雨地域」とされた地域の住民は健康診断の対象外となっている。

第2種健康診断特例区域
 長崎原爆の爆心地から半径12キロ以内の地域。長崎県と長崎市の調査を受け、被爆体験による精神的要因に基づく健康影響がみられるとして、国が2002年に指定した。この地域にいた人は年1回の無料健康診断を受けることができ、不眠症やうつ、それに伴う胃炎などがあれば「被爆体験者」として対象の医療費が支給される。しかし、がんなどは対象とならず、被爆者健康手帳への切り替え制度もない点で、黒い雨の大雨地域(第1種健康診断特例区域)とは異なる。

(2010年7月5日朝刊掲載)

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