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連載・特集

被爆65年 「黒い雨」に迫る <3> 新たな証拠

■記者 明知隼二

大雨地域外にも痕跡

 古い民家の床板を持ち上げ、床下の地面に金属製の筒を打ち込んでいく。爆心地から北へ約15キロ、広島市安佐北区安佐町毛木地区。6月上旬、広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)の星正治教授(62)たちによる「黒い雨」の証拠探しが続いていた。

 「現場のかすかな痕跡から、当時の姿を探る。考古学みたいなものです」

 広島原爆がさく裂した際、ウランの核分裂により、自然界には存在しないセシウム137(半減期30年)が生まれた。それは黒い雨にも含まれ、降雨エリアには現在もごく微量が残っているはずだ。星教授のいう「痕跡」である。

 ところが戦後に大国が競って実施した大気圏核実験も、同じセシウム137を世界にばらまいた。このため、仮に黒い雨エリアで検出できても、それが雨に由来するか否かの判別は極めて困難だ。

 星教授たちは、終戦直後に建てられた家屋に着目した。その床下の土壌は、核実験による影響をほとんど受けていないと考えられる。一昨年以来、居住者の協力を得て広島市内18カ所で土を採り、うち7カ所の分析を終えた。

 このうち3カ所からセシウム137を検出した。国が指定した健康診断特例区域(黒い雨の大雨地域)だけでなく、安佐南区相田地区など小雨地域の2カ所も含まれる。

 「確かなものにするにはもう少し調査が必要」と星教授。原医研の前身である広島大原爆放射能医学研究所の故竹下健児教授研究室に助手として着任して今年で丸30年。旧ソ連のセミパラチンスク核実験場(カザフスタン)周辺調査など経験を積み、さらに試行錯誤を重ねてつかんだ黒い雨の「新証拠」だ。手応えも感じる。

 調査に協力した住民たちの期待も高まる。毛木地区自治会の大下和彦前会長(73)は「国は『科学的根拠』を盾に指定地域の拡大を拒んできた。その間に体調を崩した人や亡くなった人も少なくない。確かな証拠が出てほしい」と地域の人たちの気持ちを代弁する。上安・相田地区黒い雨の会の清木(せいき)紀雄会長(70)=安佐南区相田=も「最近は地域拡大問題に進展がなく、年1回の総会も開けないほど。星教授に皆が期待している」。

 星教授たちは今回のセシウム検出量を基に、黒い雨エリアに沈着した各種放射性物質が発した線量をこう推定する。「原爆投下時から2週間で10~60ミリグレイ」。エリア内でも地点によって異なるが、最大値の60ミリグレイは原爆の爆心地から約2.1キロで直接被爆した線量に匹敵するという。

 「ここから先は行政の仕事。適正に判断してほしい」と星教授。淡々とした語り口に、科学者の自負がこもる。

(2010年7月7日朝刊掲載)

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