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連載・特集

被爆65年 「黒い雨」に迫る <5> 住民再び

■記者 明知隼二

体験継承へ平和行進

 原爆投下当時、広島県八幡村などと呼ばれた広島市佐伯区五日市地区でこの夏、住民たちが新たに「平和行進」を計画している。「ここにも黒い雨が降ったという事実を次世代に伝えたい」。区黒い雨の会の滝岡隆正会長(72)が訴える。

 旧八幡村は爆心地から西に約9キロ、国が指定する健康診断特例区域(黒い雨の大雨地域)と小雨地域とに分断される。行進は、その小雨地域とされた一帯で北から南へ約2キロを練り歩く予定だ。指定地域の拡大をアピールするとともに、亡くなった黒い雨体験者を慰霊する目的もある。

 「原爆や黒い雨で今なお多くの人が苦しんでいることを、若い世代が意識してほしい」と会員の谷口百合子さん(69)=同区八幡。体験者の2世や3世にも参加を呼び掛けようとしている。

 背景には、体験者の高齢化が進む現状がある。亡くなったり体力的に活動できなくなったりする人が続き、一時は約330人いた会員は260人ほどになった。活動を支えるのは当時5、6歳だった世代が中心となり、雨の記憶が必ずしも鮮明ではない会員もいる。高東征二事務局長(69)=同区五日市中央=は「体験を継承するには、今がぎりぎりの時期です」と語る。

 そして、雨が降った事実は語ることができても、その雨がどんな影響をもたらしたのか、伝えきれないもどかしさは昔も今も変わらない。前会長の小川泰子さん(69)=同区八幡=は八幡小時代の同級生の最期を思い出す。友人は5年ほど前、病床で「国は何にもしてくれんかった」とこぼし、多臓器がんで亡くなった。「黒い雨との関連が認められないままでは、あまりに浮かばれません」

 県内の黒い雨体験者組織を束ねる県原爆「黒い雨」の会連絡協議会は現在、佐伯区や安佐北区、安芸太田町などの会員約350人を対象に独自の健康調査を進めている。2005年に続いて調査は2度目。医師の協力も得て、雨に遭った場所や雨の様子、下痢や脱毛など当時の体調変化、現在までの病歴をアンケートしている。

 「今のうちに調査しておけば、私たちが死んでも資料が残る。研究ができる」。高野正明会長(72)=佐伯区湯来町=は悲壮感交じりの執念を見せる。

 回収した健康調査票には「真っ黒な川に浮いた魚を食べた」「灰も降った」などと当時の様子が記され、がんや貧血などに苦しんできた体験者それぞれの戦後も浮かび上がるという。雨に含まれた放射線を浴びたのは間違いないだろうが、その線量や健康影響の詳細は未解明だ。

 「これまでも専門家が降雨域や土壌の調査に乗り出してくれた。身体への影響についても、いつか誰かが真実を明らかにしてくれる」と高野会長。体験者一人一人の訴えが実を結ぶ「明日」に期待をつなぐ。=おわり

(2010年7月8日朝刊掲載)

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