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連載・特集

被爆65年 ヒロシマ基町 第1部 3人の軌跡 <7>

■記者 増田咲子、新田葉子

老いて 笑顔の日常 静かな祈り

 広島市中区基町のアパート群の一角にある「まちの商店」はいつも、野菜や果物を買い求めるお年寄りたちでにぎわう。

 1947年、市営の長屋時代から脈々と続く老舗だ。そのころから基町に住む被爆者の宇野静子さん(86)も常連客の一人。中国から引き揚げて店を開いた社長の町野千枝子さん(88)と店頭で、おしゃべりと笑顔を交わす。

 「客の多くは一人住まいの高齢者。姿を見ないのが2、3日も続くと心配でね」。町野さんのめいで、店を切り盛りする喜美子さん(59)がそばで温かく見守った。

 宇野さんは野菜を買い込むと柔らかく煮込み、手料理を作る。高層アパートの同じ階に住む被爆者の増井竹代さん(91)におすそ分けする。足腰が弱り、台所に立つのも難しい増井さんが、土日以外は宅配の弁当で食事を済ませているからだ。「あんたが作ったんは柔らこうて、ええよ」「頑張って生きていこうね」。会話も弾む。

 2人の友人で、肺気腫や血液疾患などに悩まされていた被爆者の三上節子さん(6月に79歳で死去)も基町への愛着が強かった。夫が2007年に他界してからも一人でアパートに暮らした。

 「母の生涯は痛みとの闘いでした。それでも、住み慣れた基町を離れることができなかったみたい」と長女の難波恵子さん(57)=東区。家族は毎日のように基町に通って母の薬を管理した。部屋の廊下に手すりをつけた。そうして母の暮らしを支えた。

 「基町は私にとっても古里。部屋にはもう母たちの姿はないけど、来ると落ち着くんです」。難波さんは基町での暮らしにこだわった母の思いをくみ取る。

 増井さんも、近所との触れ合いを大切に思う。趣味の手芸で眼鏡入れや小物入れを作り、世話になった人に「お礼に」と手渡す。

 「今は平和な時代だと思います。でも、戦争を知らない子どもたちには当たり前なんでしょうね」。増井さんは週2回通う中区のデイサービス施設で、訪れた中学生に被爆体験を語ったことがある。「戦争になったら今の幸せはなくなる」との思いを込めて話したという。

 「あの日」から65年。8月6日が近づく。「あの地獄は忘れられない」と、倒壊した自宅で頭をけがし、助けを求める声に手を合わせながら逃げた増井さん。2日後の廃虚を見た宇野さん。

 巡り来る日、2人は自宅で静かに手を合わせる。一瞬で人生を絶たれた数多くの無念さをかみしめる。この基町で、新たな暮らしを築いた戦後の日々を振り返る。=第1部おわり

(2010年7月23日朝刊掲載)

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