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連載・特集

ヒロシマ 次代の表現 <1> 范叔如さん 美術家

■記者 道面雅量

批評交えて思考を促す

 文学、音楽、美術などさまざまな表現の対象になってきたヒロシマが、65年目の夏を迎える。被爆体験のない若手、中堅世代のアーティストは今、ヒロシマにどう向き合い、何を表現しようとするのか。それぞれの作品に探る。

 「白いヒロシマ」が床いっぱいに広がる。庭の砂利に用いられる寒水石の砂山。400キロ近く使って広島市街の立体地図を作り上げた。今月上旬の6日間、中区の画廊で発表した作品「Land in Hiroshima(広島着陸)」だ。

 原爆の閃光(せんこう)とも、焼け跡の灰とも、犠牲者の骨とも思える純白。壁に目をやると、現代の広島を撮った大判写真がある。空に浮かぶ白い雲は、滑走路のような不思議な形をしている。

 「沖縄の米軍普天間飛行場の図です。広島では遠い話になっている印象がして、空に白く描いてみた。宙に浮いた移設先が広島に着陸するとしたらどうですか、と」

 砂山は日本庭園の枯れ山水がヒントになった。被爆の焦土を強く示唆。また「他者への関心が〝枯れて〟いないか」との問いでもある。

 中国から来日し、広島に住んで17年。北京で日本人留学生と結婚し、子どもの誕生を前に妻の故郷へ移住した。妻は被爆2世で、被爆死した親族もいる。「中国では、戦争を終わらせた存在として原爆が語られる。広島に来て、この小さな街が世界を背負うヒロシマだと実感した」

 一方で、もどかしさも感じる。「平和のイメージが核兵器廃絶に集約しがち。戦争廃絶の訴えまで高めてこそ世界のヒロシマであり、そういう訴えを世界は期待しているのでは」

 これまで、ヒロシマを直接、作品のテーマにすることは控えてきた。「被爆を体験していないのに、安易に感情移入して制作すべきではない」との思いからだが、今回は批評を交えた表現として踏み切った。

 美術家としての思想形成には、1989年、北京大で講師をしていた時に起きた天安門事件も影響している。自らも天安門広場に足を運んだ。武力弾圧の後、帰ってこなかった知人もいた。「時代に反応するということは、時に生死を決する厳しさがある」

 しかし、時代に背を向けることはできないとも痛感する。「現代美術は英語でコンテンポラリーアートというように、同時代の美術。今に向き合ってこそ意味がある」。本作も、65年前の被爆と今の基地問題を並べ、鑑賞者に思考を促す。

 作風は、「とぼけたようで鋭い」と評される。昨年発表した「ディズニーランド計画」は、米海兵隊岩国基地(岩国市)などを米資本のテーマパークに塗り替えた絵の連作。基地を遊園地と対比しつつ、巨大資本の暴力性にも意識を導く。原発反対運動が続く祝島(山口県上関町)の形をなぞり、ハート状の風船にした作品も。今年のバレンタインデーに山口市の上空に揚げ、「関心を持とう」と訴えた。

 社会批判をはらむ表現は「日本人でもないのに」という反応に遭うこともある。「とんでもない。これらはどれも世界の問題」。世界とは、自分を取り巻く今のすべてだ。

ファン・シュウルウ
   中国江蘇省生まれ。南京師範大、同大学院で油絵を学ぶ。北京大講師を経て1993年来日。2003年に公募「広島の美術」大賞、2008年には山口県美展大賞を受賞。広島市中区在住。

(2010年7月29日朝刊掲載)

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