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連載・特集

ヒロシマ 次代の表現 <5> 写真家 笹岡啓子さん

■記者 田原直樹

平和公園に異空間見る

 明るく広い空の下、高校生の一団が橋を渡っている。ぎっしりと列をなしている。欄干の特徴的な形状は、平和大橋だろうか。夜の平和記念公園を写した一枚は、画面奥へと向かう女子高生らしき姿。脚だけが鮮明だ。背景に原爆資料館らしき建物の影が浮かぶ。

 平和記念公園と周辺を写した写真群。一見、何の変哲もない白黒写真だ。影部分がつぶれたカットが多く、人の顔や風景の詳細は見えない。しかしその不明瞭(めいりょう)さから、奇妙な感覚が生じてくる。

 「ちょっと変な風景ですよね。広島の街って独特な感じがするんです。とくに平和公園あたり」。平和記念公園と周辺を写し、10年になる。日中は観光客や修学旅行の団体が行き交い、夜は暗く静まる。その空間や光景に、ふと感じる違和感を抱きながら、撮影してきた。「夜の公園を横切り帰る女子高生たちの写真。去っていく後ろ姿が、今ではない、違う時勢の人のように思えた」

 その違和感。広島市を離れ、東京の大学で写真を学んでいて気付いた。「街の真ん中に広い空間がある」。公園をテーマに、撮影地を探していた時だ。「ぽっかり、ガラン。地理的にも感覚的にも感じる。あの日を忘れまいと記念した空間。でも人は通り過ぎていく。不思議で、奇妙な感じ」

 それを表そうと、毎年4、5回、10日間ずつくらい帰郷し、公園に通った。中判カメラを提げて朝から晩まで。慰霊碑や川、橋、もちろん原爆ドームも撮った。「たまたま露光不足、アンダー気味で写った」。黒くつぶれ、不鮮明な像。そこに感じるものがあった。「普通、はっきり写ったのがいい写真。でも、わずかに何か写る、写ってしまうものを撮りたくなった」。昼もアンダー気味で撮影し、夜もストロボの光量を抑えた。

 100枚を収めた作品集「PARK CITY」を昨年暮れ刊行した。表題は公園都市の意。「タイトルにヒロシマは付けたくなかった。先入観を持たれ、構えられるから」。構成も工夫した。巻頭はどこの都市か分からないカットが並ぶ。次第に平和記念公園周辺の光景が現れ、見る者を奇妙な感覚に包む。

 「追悼のために造った場なのに、ちょっとずつズレてしまったよう」。撮影を続けるうち、違和感の中身が見えてきた気がする。「原爆投下から広島の街は、平和公園を含め、独特な成り立ち方をしてきた。いい悪いを言うのではないが、あの日の前にも、後にもいろんな層の時間があるはず。この公園の今を表現したい」

 撮影はこれからも続ける。「平和教育でヒロシマを学んだ自分の視点と、広島を離れた視点。両方を持ち合わせた距離感で撮っていきたい」。被爆体験の風化や慰霊行事の形骸(けいがい)化…。はっきりと目には映らないが、ヒロシマにとって大切なものが、写し出されるかもしれない。

ささおか・けいこ
 広島市安佐南区出身。東京造形大卒。同大在学時の2001年、共同で「フォトグラファーズ・ギャラリー」設立。08年、VOCA展奨励賞受賞。東京・銀座や広島市などで個展開催。今年6月には写真集「EQUIVALENT」刊行。東京都杉並区在住。

(2010年8月4日朝刊掲載)

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