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連載・特集

65年の夏 広島一中3年生の軌跡 動員学徒 たどる生と死

■編集委員 西本雅実

 65年となる「終戦の日」がめぐり来る。被爆地広島は、大戦中の学徒動員で少年少女が全国でも例をみないほど戦死した地でもある。市の原爆資料館が2004年にあらためてまとめた動員学徒の死没者は7196人に上る。その大半が旧制中学や高等女学校の生徒だった。健在であれば80歳前後となる。

 「八十」の「傘寿」の人たちは、元号で数えれば、学齢期となった昭和12(1937)年に日中戦争が始まり、16年の日米開戦をみる。戦局が悪化をたどった19年には政府の「決戦非常措置要綱」に基づき、軍需工場への勤労動員が続いた。

 1945年8月6日朝の広島では、空襲に備えデルタを東西に貫く防火地帯(現平和大通り)などを設けるため、約8200人の学徒が民家を取り壊す作業に動員されていた。

 爆心地から東南に約1.5キロの作業現場などにいた県立広島一中3年生を「65年の夏」に訪ねた。一中は生徒353人が死没した。忘れられかけた、伝え残したいことを探る。

(2010年8月13日朝刊掲載)

 

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