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連載・特集

人類は生きねばならぬ 被爆者 印パ行脚 <6> 消えぬ灯

■記者 山根徹三

暴力に屈せず平和訴え

   6月23日午後6時、パキスタン・イスラマバード中心部にあるホテルの宴会場。市民150人を前に、被爆者の武田靖彦さん(65)=広島市安芸区=の証言が始まった。

 被爆3日後に16歳で死亡した姉、素子さんの最期を話した時だった。前列から3列目に座っていたテレビ局記者のヘナ・ズベリさん(24)が顔を覆った。左手が小刻みに震えている。みけんには深いしわ。ほおに涙が伝わる。

 「私の妹も16歳。あんなむごいことが妹に起きたらと思うと…」と声を震わせる。「核兵器は国の安全を守れない。ミスで核戦争が起きる方が怖い」

 集会後、ぶしつけとは思ったが、聞いてみた。「どのように報道しますか?」「いや、個人的に集会に参加したから…」。口ごもって言った。

 2日後、ラホールで、一連の集会を主催した「平和と民主主義を求めるパキスタン・インド人民フォーラム」の提唱者、元蔵相のムバシ・ハッサンさん(76)と会った。

 ズベリさんの話をすると、温和な顔に同情の色を浮かべた。「この国では政府に不都合なことは放映できない。彼女だけを責められないですよ」

 イスラマバード周辺のテレビ局3社のうち2社は国営。残る民間もほとんどニュースは流さず、流したとしても2社と同様の内容になるという。

 加えて、カラチの地元新聞は連日のように、政治対立による民族・政治団体メンバーらの殺人事件を伝えている。英字紙「ザ・ネイション」によると1月から6月27日までの犠牲者は463人に上る。

 証言会の3週間前には、フォーラムの記者会見にイスラム原理主義団体の20人が乱入。いすを投げたりして妨害した。けが人も出た。  「暴力に屈すれば、人々の口はさらに重くなる」。身長180センチ。長身痩躯(そうく)の表現がぴったりの体に鋼のような意志をみなぎらせて、ハッサンさんは言う。

 ラホールの大学で土木工学を教えていた1962年、軍事独裁政権が出した戒厳令に抵抗し、大学を追われた。1973年から3年間、蔵相を務めたものの、3度の軍事政権下では数度逮捕され、拷問も受けた民主化の闘士である。

 カシミール紛争が激化したのをきっかけに1994年、民間レベルの印パ交流を目指して有識者に呼び掛け、フォーラムを旗揚げ。両国市民の交流セミナーを開いている。昨年は「インド・パキスタンと平和交流を進める広島市民の会」も受け入れた。

 「戦争、原爆の被害者である被爆者が何度も来て訴えてくれれば、平和を求める声が暴力を包み込み、報道されるようになりますよ」。ハッサンさんの言葉に、武田さんは証言の重要性をあらためて感じた。

(1998年7月8日朝刊掲載)

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