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連載・特集

人類は生きねばならぬ 被爆者 印パ行脚 <8> 新たな芽

■記者 山根徹三

反核運動へ足場築く

   6月12日午後5時半。商店が軒を連ねるインド・ニューデリーの中心部でTシャツやジーンズ姿の男女40人余りがデモ行進を始めた。通行人が不思議そうに眺める。

 黒地に白いヒンディー語で「核兵器反対運動」と書かれた横断幕。約50メートル歩くと、参加者は中央分離帯のフェンス沿いに散り、等間隔で並んだ。自動車の排ガスとほこりが舞う。「リメンバー・ヒロシマ」などのプラカードを掲げ、1時間近く無言で立ち続けた。

 最初のデモ行進は5月16日。同月11、13の両日に実施した核実験に危機感を募らせた教師や労組員、芸術家らが、誘い合って練り歩いた。以来、毎週金曜日に続けている。

 「力を近隣諸国に見せつけるための核実験であり、貧困などの国内問題から国民の目をそらす狙いもあった。そんな政権を支持できるか」

 G・N・サイババさん(30)は語気を強めた。デモ行進の中核をなす「全インド人民抵抗フォーラム」の事務局長。プラカードを持ってオートバイにまたがり、道路端からじっとフェンス沿いの仲間を見つめていた。

 インド中央部のハイデラバードの大学教員時代、農村や工場の労働争議の調停役を引き受けた。低賃金で重労働を強いられる実態を見て昨年、大学を退職。1992年に労働者の権利を守るために結成されたフォーラムに専念する。

 「今年の8月6日のヒロシマ・デーには、ニューデリーやムンバイなどで平和集会を開いてみせますよ」。顔の下半分を覆う立派なひげの奥から、頼もしい言葉が飛び出した。

 印パ平和行脚を計画した広島県原水禁に今月初め、原爆展の開催協力を求める文書が届いた。武田さんが平和集会を開いていないインド南部のマドライ市の平和団体からだった。

 ニューデリーで平和行脚を撮り続けた写真家シェバ・チャチーさん(39)も「インドの市民の大半は放射線の影響など知らない」と写真展を計画している。

 パキスタンにも、「平和と民主主義を求めるパキスタン・インド人民フォーラム」が存在する。イスラム原理主義団体の暴力による妨害にも臆(おく)せず、両国市民による集会を開き続け、行脚の受け入れ窓口となった。

 核実験を正当化する印パ政府に対抗し、新しい反核運動がうねりを起こしつつあるインド。民間レベルの平和運動を模索するパキスタン。そして、両国とも放射線障害についてほとんど知られていない現実…。

 12日間にわたった平和行脚を、武田さんは振り返る。

 「日本政府や被爆地が、核の恐ろしさを世界に伝える責務を怠ってきたのではないか。盛り上がりに欠ける被爆国日本の平和運動はこれでいいのか。私たちが逆に学ぶことも多かった」=おわり

(1998年7月10日朝刊掲載)

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