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連載・特集

対談 被爆者運動50年 ヒロシマを考え記憶する <2>

■編集委員 西本雅実

個人的共感の回路大切 佐藤さん

 ―被爆者健康手帳の所持者は全国で約26万人、広島市では人口115万人のうち8万1000人に減り、平均年齢は73歳です。被爆の事実と記憶が薄れる中、どう歴史化し、世代や国境を超えて理解を得るには何が大切だと思われますか。 
 長谷部 厳密には歴史の記憶は事実と同じでない場合が多い。しかし被爆体験は事実と違うことが問題なのではない。他者の理解を得るうえで阻害要因があるとすれば、意味付けの仕方。「戦争はなんでもあり」、その最悪なものに原爆投下があったという意味づけは、ある程度の広がりはあるが、おのずと限界がある。なぜなら戦争にもルールがあるからだ。人間を単なる手段として使ってならない、という基本的な規範があるはず。前にも述べた「日本の無条件降伏のために必要だった」とする米国の論理は果たして正当化されるのか。正当化の論理として受け入れてよいのかがある。

加害の話は国家レベル

 佐藤 被爆体験を日本の戦争被害の象徴として記憶すると、それは当然ながら相手側の記憶と衝突する。日本が「ヒロシマ」といえば、米国は「真珠湾」、中国は「南京」と、シンボルの応酬になる。しかし、個人や地域の体験は国民全体の記憶と必ずしも同一化できない。広島でも加害も語らなければ、とある時期から言われるようになり、原爆資料館には加害の歴史も展示されている(注8)。しかし、原爆被害者であっても大日本帝国の臣民としてはアジアへの加害者なんだという意味付けなどは、政治的短絡に過ぎる。被害は個人レベルだし、加害は国家レベルの話だ。

 日本国民は加害意識に鈍感と言われるが、私は決して鈍感でも忘れたわけでもないと思う。加害責任論は被害体験を語ろうとする人の口封じの手段、政治的レトリックとして使われてきた面がある。国の記憶と個人の記憶、パブリック・オピニオンとポピュラー・センチメントを区別せず議論しているための弊害であり、それを続けている限り決して真の対話にはならない。個人同士の対話には国家の敵味方を超えた共感の回路はある。広島をナショナルな記憶の回路から外すべきだと言うのは、個人的な共感の回路が大切だと思うからでもある。

 長谷部 センチメントと、そこから表れるオピニオンを区別するべきだ、という考えに同感する。情緒のレベルでは分かる人も分からない人もいる。なるべく普遍化可能な枠組みの中で記憶を意味づければ、理解は広がっていくだろう。ただプラスとマイナスはある。戦闘員と非戦闘員の区別という基本原則を無視した大量殺傷の事例として取り上げれば、その特異性は失われていくだろう。理解の輪を広げようと普遍的な視点に立てば、情緒レベルでの個別性は失われる。支払わなくてはならない代償でもあるが。

 ―ヒロシマの特異性を失わせる、とは。
 長谷部 核兵器はそれほど特殊な兵器なのか。それ以外にも大量破壊兵器はあるし、大量殺傷は東京やドレスデンでも起きた(注9)。普遍的な理解の輪を広げる説明の仕方では、多くある大量殺傷事例の一つという受け止めにもなる。

 佐藤 特異性が弱まることは必ずしもマイナスとは思わない。特異な現象だけが歴史に記憶されるべきだとは言えないはずだ。学生に薦められて読んでよかったと思ったのが、こうの史代さんの「夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国」(注10)。政治的なメッセージはほとんど書かれていないが、感動の質は世代や国境を超えてちゃんと伝わっていた。一つの可能性を示しているのでは。

体験絶対視は対話阻む 佐藤さん
歴史 他者の視点考えて 長谷部さん

 ―歴史観でいえば、日本と中国は戦争の当事者でない若者がネット上で感情的な意見をつづっています。歴史から何を学び、発信したらいいのでしょうか。
 長谷部 人間は自分が抱く歴史観に埋没しがち。他者の視点に立ち、理解する努力が要る。自分と違う意味付けがあり得ることを知るのが大事。リチャード・ローティー(米国の哲学者)の言葉でいえば「人はそれぞれファイナル・ワーズを持っている」。ファイナル・ワーズ(結論的な言葉)が出てしまうと後は単なる循環論に陥りがち。過去の人の言説、他人の言説も自分の観点に引き付けて理解しがちだ。自分の観点をひとまずおいて、この人自身はどういう問題意識でこういう意味付けをしているのか、と考える視点が要るだろう。

 佐藤 自分の体験を絶対視してしまうと、戦中世代と戦後世代の対話もできない。「生まれてもいないのに何を言うのか」と言われれば、それまで。体験と歴史は質が違う。歴史観は最終的には政治観だと思う。ポピュラー・センチメントとパブリック・オピニオンとの絶えざるせめぎ合いから自覚的に鍛え上げるのが歴史観であり政治観だろう。そうした努力を経ずに初めから「正義」「平和」を論じるのは不毛だ。

9条改憲論 冷静さ必要

 ―憲法第9条の改正論議がタブーでなくなっています。長谷部さんは「9条で自衛隊を持てるわけだから、あえて変える必要がない」との考えですが、被爆地では論議自体を「平和が脅かされている」とみる声も強くあります。
 長谷部 私の考え方では、9条は自衛のための最小限度の実力を持つことは禁止していない。「条文通りに読むとそう(禁止)じゃないか」となりがちだが、公と私を区分する立憲主義から禁止は正当化できない。法解釈は真か偽かではない。「平和は崇高な理想であり、実現のためには非武装で生きていく。それが人として生きる正しい道だから」という考えは、まさに「私」の領域での志の話。憲法は社会全体の利益を実現するための枠組みであり、人の生きるべき正しい道を記すものではない。実効的に国民の生命財産を守れないとなると、憲法解釈としてはあってはいけない話だ。

 改憲論の中には、日本の戦後がつくってきた多様な価値観のフェアな共存の枠組み自体を攻撃しようとしている議論もあり、注意する必要がある。他方、九条を「人の生きるべき正しい道が書かれている」とするのも、多様な価値観が公正に共存する枠組みとは両立しない考え方。国の最大の目標である国民の生命と財産をどう保障するかを実現するうえで、阻害要因が憲法に入り込むことは避けるべきだ。仮に九条を変えるとしても国民の自由と安全確保に本当に実効的に貢献するのか、冷静に考えた上での提案でなければならない。そうなっていない議論が散見される。

憲法争点化 危うい面も

 ―メディアでも中国や北朝鮮の脅威論などから平和を語る言説は変わってきています。
 佐藤 私は竹内洋先生(関西大教授)たちと、戦前の天皇機関説攻撃の火付け役になった蓑田胸喜の共同研究をしたが、意外に思ったことがある。彼ら右翼は明治憲法から外れた解釈は一切認めず、天皇機関説を明治憲法の解釈改憲だと批判していた。つまり、戦前は右翼が「護憲派」だった。解釈の幅を認めない憲法理解は運動の善意にかかわらず危険である。戦前も天皇機関説など憲法が問題になる時期は危機的な時期だった。憲法をことさらに争点化するのは政治的に危機的な状況をつくり出すことにつながる。

 メディアも、改憲なり護憲なりの政治運動をただ報道するだけでよいのだろうか。ネット情報があふれる中で新聞やテレビなどマスメディアに残された最重要な機能は、何が公的な議論にふさわしいかを判断し、討議の場を提供することだ。危機的な状況を演出する改憲派、護憲派の対立をドラマチックに報道することがどういった結果をもたらすかまで考える必要がある。

 ―郷里であり被爆都市であるヒロシマへのメッセージを最後に伺います。
 長谷部 まとめになるが、広島以外の人にも分かる言葉、視点を意識し、できるだけ普遍的な枠組みに基づくメッセージが要る。核兵器を含めた大量破壊兵器は究極的には廃絶されるべきだが、広島以外の人が国際関係や歴史をどう見ているのか、東西冷戦下で核兵器廃絶を訴えていたことにどういう政治的意味があったのか、その辺りの反省も含めた議論も必要だろう。

 佐藤 普遍性を持ったメッセージになるためには、逆説的だが、語り手個人の特殊性を明確にすることが重要。個性がないところに普遍性もない。出来合いの言説と結びつけて何かを発信するのは相手の本音の部分にまで届かない。ありきたりの平和アピールから離れ、被爆体験を足元から見直す中で外に開かれた普遍性が獲得できるのではないだろうか。国連総会でなされるような議論を個人の体験と直接結びつけるのはむしろ誤解される。これまで広島の取り上げられ方は幸福なものではなかったし、政治的に利用された側面も否定できない。そのために抑圧された個人の感情も当然あるだろう。今こそもう一度個人レベルに戻って、記憶を自分たちの手で歴史化する作業が着実に進められるべきだ。


はせべ・やすお氏
 広島市中区堺町出身。本川小、広島大付属東雲中、付属高、東京大法学部卒。学習院大教授を経て1995年から現職。著書に「比較不能な価値の迷路」(東京大出版会)「憲法と平和を問いなおす」(ちくま新書)「憲法とは何か」(岩波新書)など。総務省国地方係争処理委員会委員も務める。東京都文京区在住。

さとう・たくみ氏
 広島市東区尾長町出身。尾長小、二葉中、観音高、京都大文学部卒。同志社大助教授などを経て2004年から現職。著書に「『キング』の時代」(岩波書店、サントリー学芸賞)「八月十五日の神話」(ちくま新書)「メディア社会」(岩波新書)など。京都市上京区在住。


(注8)加害展示 広島市は1987年、市民団体の申し入れを受けて原爆資料館にアジア侵略の責任を問うコーナー設置を決める。中国からは「展示は不十分だ」と批判された。
(注9)広島の原爆死没者数 市が国連に1976年提出した推計値によると14万プラス、マイナス1万人が1945年末までに亡くなった(うち軍人は2万人前後)。B29の無差別爆撃による45年3月の東京大空襲では約10万人、米英軍による2月のドイツ・ドレスデン爆撃は少なくとも3万人が犠牲になった。
(注10)「夕凪の街 桜の国」 広島市西区出身の漫画家こうの史代(ふみよ)さんが被爆10年後の広島で生きる女性とその後の家族の物語を静ひつなタッチで描き、2004年文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞。映画化が決まり、8月に広島ロケがある。

(2006年7月18日朝刊掲載)

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