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連載・特集

被爆者運動50年 明日への扉 <5>

■記者 金崎由美

「ゲン」印パを行く

 「せりふの発音、もう一度やってみて」「やけどを負って歩く動作はこうしたら」。東京都府中市にある東京外国語大。ウルドゥー語を専攻する学生たちが9月のパキスタン公演に向け、「ヒロシマ・キ・カハーニー」(ヒロシマの物語)のけいこに打ち込む。

 原爆で父や姉らを奪われながらもたくましく生きる少年を描いた長編漫画「はだしのゲン」(中沢啓治原作)の芝居。

 メンバーは、インド、パキスタンで話されるウルドゥー語学科の麻田豊助教授(58)が座長で学生13人からなる。昨年のインド公演に続いて、今回は9月1日から25日間、首都イスラマバードやカラチ、ラホールの大学・市民会館を巡回する。

 麻田助教授は、領土紛争から1998年には核実験を相次いで強行した印パ両国を往復するうち、「ヒロシマ・ナガサキは有名でも、原子雲の下でどんなことが起きたのかは知られていない」と痛感してきた。

 知人がいる東京の劇団「木山事務所」が1999年に米ニューヨークで「ゲン」を公演した際の評判を聞き、学生たちとインドで上演することを思い立った。中沢さんから使用許可を得て、木山事務所からは台本提供や演出・演技指導を受けた。

「葛藤あった」

 メンバーに広島・長崎の出身者はいない。被爆者の知り合いもいない。「ゲンの思いに何とか近づきたい」。昨年9月のインド公演に向かう前には広島市中区の原爆資料館を訪れ、現地で被爆体験を証言したことがある岡田恵美子さん(69)らから話を聞いた。

 街ごと破壊した原爆の威力、被爆の苦しみ、周囲の偏見…。初めて接した被爆資料と証言に言葉を失った。今年のパキスタン公演にも参加する境倫子さん(20)は「あれだけの体験を、戦争を知らない自分たちの演技で伝えられるのか、との葛藤(かっとう)があった」と振り返る。

 そもそも、被爆者の気持ちに成り代われるのか。思い悩むメンバーの背中を押してくれたのは、被爆者らの「私たちの体験を世界に伝えて」との励ましだった。

懸念消え去る

 「自分たちなりに『ゲン』に込められたメッセージを表現するしかない」。増田清さん(22)は広島県海田町にある母の実家で幼いころ夏休みを過ごしたが、ヒロシマの意味を突き詰めて考えたことはなかったという。

 しかし、不安は現地に着いても残った。ゲンの父を演じた下岡拓也さん(20)はいう。「核の恐ろしさを告発する芝居だけに反感を買うのではないかと思った」。その懸念は各地を上演で回るたびぬぐい去られていった。

 舞台背景に投影した廃虚の広島や被爆者の姿をとらえたスライド30枚に、観客はどこでも身を乗り出した。上演後、涙を流しながら舞台に駆け寄り「何があっても核の力に訴えるのは間違い」と語りかけてきた。

 「インドにも、核兵器を持ってはいけないと思っている人はたくさんいる」。ゲン役の石井由実子さん(21)は、核兵器をめぐる市民レベルの意識が、日本に伝わる一般的なイメージとは違うのを肌身で感じた。10都市を回り、帰国した。

 パキスタン公演は当初思ってもいなかった。ところが昨年10月に大学を訪れたパキスタン人ジャーナリストに「ゲン」を披露すると、「現地の若者にも見せてほしい」。強く促された。1947年の分離独立以来、対立を続ける印パ両国で演じてこそ「終演」になると決意した。

 学生たちは、「ゲン」の生き抜くエネルギーと深い家族愛は国境を超えて共感を得る、と信じている。「印パを『ゲン』で結びたい」。被爆者から託された核兵器廃絶への願いをも携え、パキスタン公演に挑む。

(2006年7月29日朝刊掲載)

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