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連載・特集

『直言』 松井新広島市長 <中> ヒロシマの意志 世界へ

■記者 金崎由美

日本被団協代表委員 坪井直氏(85) 

 ―12年ぶりの市長交代です。新市長の力量をみる試金石は。 
 松井一実市長は被爆2世と聞いている。多くの被爆者と会い、体験や思いを聞くことから始めてはどうか。そして、何といっても平和記念式典で読み上げる平和宣言が重要だ。被爆地の市長の言動は世界が注目し、核兵器廃絶の世界的機運を左右する。責任の重さを早く実感してほしい。

 ―新市長は平和宣言を自分で書くのではなく、起草委員会などで考えるとしています。
 核兵器廃絶へのみんなの意思を盛り込むのはいいことだが、聞くばかりではだめ。総花的では訴える力が薄まってしまう。最大公約数的な内容にするのはある意味で楽だ。「みんなの意見は聞いた。でも私はこれを訴えたい」と覚悟を示すことがもっと大事。それが広島市長に託された責務だ。

 ―任期中に被爆70年の節目を迎えます。助言はありますか。
 被爆者の生の声がだんだん聞けなくなっていく。体験を次代に継承するには平和教育の充実が急務だ。モデル校をつくってもいい。広島にしかできない継承の在り方を考えてほしい。

 援護行政では、被爆者の思いに寄り添ってもらいたい。被爆者健康手帳の交付に時間がかかったり、却下されたりする事例が多い。「ここまでよう生きてこれた。ありがとう」と言われるような対応を求めたい。

 ―平和市長会議が掲げる2020年までの核兵器廃絶の目標に関し、松井市長は継続すると発言しています。
 仮に広島が20年の旗を降ろすようなことがあれば、世界的な廃絶機運はしぼんでしまう。廃絶が喫緊の課題であると世界に訴えないといけない。平和市長会議の基本方針を継続する姿勢は評価したい。加盟都市は5千都市に迫っている。広島、長崎の声を世界の津々浦々まで届けられる国際的ネットワークはほかにない。さらに充実させるべきだ。

 ―一方で松井市長は「出かける平和から迎える平和」を掲げ、海外出張が多かった秋葉忠利前市長の手法とは一線を画す意向です。どう考えますか。
 待ちの姿勢ではいかん。こちらから出向き思いを伝えてこそ「同志」との関係は持続するし、広島にも来てくれる。内向きになれば「ヒロシマの意志は後退した」との印象を世界に与える。被爆地のリーダーは世界に人脈を築かないといけない。堂々と海外に出かけ熱意を示してほしい。松井市長が言う内政重視とも矛盾しない。私たちも全力で協力する。

つぼい・すなお
 広島工業専門学校(現広島大工学部)3年生の時、爆心地から約1.2キロの広島市富士見町(現中区)の路上で被爆。中学教師や校長を経て1994年から広島県被団協事務局長、2004年から理事長。2000年からは日本被団協代表委員。

平和市長会議
 1982年に広島、長崎両市長の呼び掛けで発足した「世界平和連帯都市市長会議」が前身。広島市長が会長、長崎市長が副会長を務める。秋葉市政の12年間で加盟都市数が大幅に拡大。就任当初の464都市から4680都市になった。2003年10月、英マンチェスター市での理事会で、20年までの核兵器廃絶を目指す「2020ビジョンキャンペーン」を承認した。

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