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連載・特集

市外在住者 どうケア 原爆小頭症 広島市に専任相談員

■記者 増田咲子

 国が「原爆小頭症」と認定する人たちは、胎内で被爆し、核被害を背負って生き抜いてきた。被爆から66年。本人や支える肉親の老いが進む。広島市は、専任の医療ソーシャルワーカーを置く相談事業を4月から始めた。厚生労働省は補助金を出すが、事業主体はあくまで市との位置付け。原爆小頭症患者は全国で22人を数える。それぞれの実情を受け止めた医療と福祉を図るには、国が責任を持つ支援体制が求められている。

派遣困難 電話で対応
国主体の体制不可欠

 患者18人と家族らでつくる「きのこ会」は今月7日、広島市南区の区役所別館で総会を開いた。県医療ソーシャルワーカー協会長でもある専任相談員、河宮百合恵さん(55)が出席し、患者らと初めて面談した。

 「穏やかに暮らしたい。それが一番の願いです」。三次市から駆け付けた岸君江さん(65)は、河宮さんに切々と語り掛けた。

 岸さんは、母土井シヅヨさんが妊娠3カ月だったときに爆心地から約1.2キロの田中町(現中区)にあった自宅で被爆。警防団に出ていた父勝一さんは44歳で死去した。

 自宅の下敷きとなったが助かった、母の里の三次で生まれた。幼いころから小頭症患者に見られる股関節の痛みなどさまざまな病気に襲われた。身長は138センチで止まった。

 24歳の時、入院先の病院で知り合った夫と結婚し、1男1女を授かった。夫は1992年に53歳で死に、頼りとした母は2002年に94歳で、姉2人は2006年に相次いで逝った。

情報交換で対処

 「子どもには子どもの生活がある。迷惑は掛けられない」と、一人暮らしを続ける。股関節は年齢とともに悪くなり室内での歩行にもつえが手放せない。「足が痛くて風呂も一人では入れないんですよ」と現状を訴えた。

 岸さんは、面談を終えて「直接に話ができてよかった」と受け止めながら、「心の半分はもやもやしている」と口にした。

 なぜなら、広島市に住む患者10人は必要に応じて相談員の訪問を受けられるが、岸さんのように広島市外の患者は、相談員がいる市原爆被害対策部へ足を運ぶか、電話して相談するしかないからだ。

 広島市と広島市外という理由だけで支援体制に差があることに、被爆者援護を担う厚労省健康局は「原爆小頭症患者が住む各自治体と広島市とのネットワークづくり」で対処する考えを示す。事業の開始に合わせ、広島・長崎市と7都府県で、担当となる職員の名前や保健師をリスト化。その情報を共有することで支援するというのだ。

 しかし、大阪府に在住し入院中の女性患者(65)は「広島と違って、こちらの役所は被爆への理解が薄い。相談しても親身になってもらえるかどうか分からない」と懸念する。

 広島市原爆被害対策部は「市外に住む患者家族から相談があった場合は居住する自治体に連絡をとり、市内に住む人と同じように真摯(しんし)に対応する」(中村明己援護課長)としているが、専任相談員を市の業務として他の自治体に派遣するのは制度上難しいと説明する。

「担当者研修を」

 広島市と広島市外での差を埋めるにはどんな手だてが要るのか。きのこ会を支援する兵庫大の村上須賀子教授(65)=医療ソーシャルワーク論=は、関係する自治体の担当者が集まって研修を積むことを提案する。

 「被爆者であり、障害者であり、高齢者であるという視点から小頭症患者の医療や福祉をトータルで考え、家族全体を支える必要がある。きのこ会や広島市が持っている情報やノウハウを積極的に活用するべきです」

 きのこ会は、専任の相談員が置かれたことは「大きな一歩」と評価したうえで、会の平尾直政事務局長(47)は「小頭症患者は国が引き起こした戦争で生まれる前から傷つけられ、家族の絆を奪われた。国は補償する責任がある」と訴える。

 国が主体となってこそ、どこにいても安心して支援を受けられる相談事業といえる。会は引き続き粘り強く、支援体制の整備と充実を要望していく。


「きのこ会」会長 長岡義夫さん

 「きのこ会」の会長で、兄(65)が患者の長岡義夫さん(62)に、始まった相談事業への受け止めや、支援への具体的な要望を聞いた。

 現在、きのこ会の会員18人のうち、親が健在なのは2人となりました。確認できる患者の生活状況は、母やきょうだいらと同居が6人、きょうだいらに支えられての一人暮らしが4人、施設入所が4人、入院が2人です。親戚づきあいがなく孤独な患者もいる。

 それだけに広島市が置いた、経験も豊かな医療ソーシャルワーカーの専任相談員には期待している。できれば市民病院に常駐し、医療部門と緊密に連絡を取り合いながら相談に乗ってほしい。

 厚労省が進める、患者が居住する地域の自治体間のネットワークづくりもきちんと機能させてほしい。患者は体のほか知能に障害もある人もいる。自立した生活は年々難しくなっている。広島市外でも患者家族と直接に会い、相談に乗る体制をつくってほしい。

 家族は、身内の被爆と障害といういわれなき差別に、公言したくない気持ちがあるかもしれない。だからといって、「そっとしておく」だけではいけない。家族だけで解決できない問題もある。きのこ会の会員以外の患者に支援が届いているかどうかも心配です。

 患者の症状や生活状況は千差万別。本来なら全国の患者と家族全員に面談し、現状を把握していくべきです。通り一遍のケア・サービスではなく実情に合った支援を進めてほしい。

ながおか・よしお
 2009年から会長。亡き母千鶴野さんも会長を務めた。広島市安佐南区在住。


<原爆小頭症の関連年表>

1951年 原爆傷害調査委員会(ABCC)が胎内被爆児の調査開始
1959年 小頭症女児を持つ親が原水爆禁止世界大会で救済訴え
1963年 広島大産婦人科教室の田淵昭教授が「妊娠3カ月未満で近距離被爆の8人について
       身長、体重、胸囲とも発育が劣っていた」と発表
1965年 米政府原子力委員会が胎内被爆児の知的障害傾向などを発表(3月)▽患者や親で
       つくる「きのこ会」発足(6月)▽田淵教授が「ABCCで小頭症と発表されたのは24人。
       現在も明らかに高度小頭症は12人。広い意味では45人になる」と発表(10月)
1966年 厚相諮問機関の原爆医療審議会で、小頭症を原爆後遺症として認定し、医療を尽くす方
       向で委員の意見が一致。全国で44人を確認(3月)▽きのこ会が結成1周年のつどい。
       小頭症を原爆症として認定、親子の生活の終身保障などの運動方針を再確認(6月)
1967年 厚生省委託の原爆被爆者小頭症研究班が胎内被爆が原因と報告(5月)
       ▽原爆医療審議会が厚相に「胎内被爆による小頭症を原爆症に認定すべきである」と
       答申。厚生省が「近距離早期胎内被爆症候群」として原爆医療法の認定疾病に加える
       (8月) ▽患者6人が認定第1号(9月)
1976年 厚生省が3年ごとの認定更新を廃止し、終身認定を決める
1988年 小頭症の男性が認定から5カ月後に埼玉県内の病院で死亡。胎内被爆との因果関係に
       誰も気づかず
1992年 きのこ会が、親子でのホーム入所実現の要望を決定
2004年 厚労省が長崎県内の女性を患者と新たに認定
2010年 きのこ会が専任の医療ソーシャルワーカーを配置するよう国や広島県と広島市に要望
2011年 広島市に専任相談員配置

(2011年5月16日朝刊掲載)

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