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連載・特集

台湾在住被爆者 つかめぬ実態 援護遅れ

■ヒロシマ平和メディアセンター事務局長 難波健治

 在外被爆者を支援する広島、長崎の市民が、国交のない台湾にいる被爆者の掘り起こしを進めている。今年1月からこれまでに現地で12人の被爆者と面談し、被爆時の状況や現在の生活状態などを聞き取った。調査を基に先月、広島、長崎の両県市に報告書を提出し、被爆者援護に関するきめ細かい情報の提供や医師団の派遣などを要望した。かつて日本の植民地だった台湾には、まだまだ多くの被爆者がいることが考えられる。国の責任があらためて問われている。

国交なく手帳取得苦労 問われる日本政府の責務

 調査しているのは、在韓被爆者らの支援を長年続ける平野伸人さん(64)=長崎市▽豊永恵三郎さん(75)=広島市安芸区▽中谷悦子さん(61)=廿日市市。

 きっかけは昨年12月、厚生労働省のホームページにアップされた被爆者実態調査結果だった。この調査は被爆者の健康状態や生活をつかむことを目的に10年ごとに実施され、前回の2005年度で初めて、在外被爆者の調査を行った。

 海外から回答を寄せたのは2499人。韓国と米国、ブラジルの3カ国で96.4%を占めた。台湾からは14人が答えた。うち広島被爆が6人、長崎は8人。平野さんらは、長崎医科大へ留学していた台湾人被爆者の消息はつかんでいたが、広島で被爆した人の情報はなかった。

12人と面談調査

 そこで今年1月から計3回、8日間にわたって台湾を訪れ、台北や桃園、嘉義、高雄などで調査。連絡がとれた67~97歳の12人と面談し、被爆状況やその後の生活、日本政府からの援護の状況を聞いた。7人が広島、5人が長崎で被爆していた。

 被爆者健康手帳の種類は、直接被爆9人▽入市被爆2人▽救護被爆1人。9人が広島、長崎両県市を直接訪れ、3人は外務省などが現地に置く財団法人「交流協会」を通じて取得していた。9人が健康管理手当を受給、1人が原爆症認定を受けて医療特別手当をもらっていた。医療費の助成を受けていたのは3人だった。

 日本と台湾は、日中国交回復の1972年から国交が途絶えた。現地に日本の在外公館がないため、「交流協会」が手帳や手当の申請窓口になっている。援護に関する情報が届かず、手帳の取得が遅れた人が多かった。

 広島で被爆した7人のうち、2人は日本軍の特別幹部候補生だった。別の2人は旧制中学に留学していた。台北市に住む男性(88)は救護のため入市被爆、その後長崎で永井隆博士が隊長を務める医療隊に合流した。二重被爆の可能性が高い、と平野さんらはみる。

 希望して日本に渡った人が多いせいか、「日本政府の責任を問う声は韓国人被爆者ほど強くない」と平野さん。中谷さんは「医師や教師、公務員をしていた人もいて、経済的にはゆとりのある人が多い」と受けとめた。しかし、「援護が十分でなく生活が苦しい」と訴える人もいた。

 嘉義県に住む男性(82)は1941年、旧制広陵中(現広陵高)に留学した。家は雑貨商。台湾で進学してもいい就職はなく、日本人との賃金格差は大きかった。医者を目指して留学したが動員先の工場で被爆した。

 帰国後は家業を継いで家族を養った。生活は今も厳しいという。広島の同窓生から被爆者手帳の取得を勧められたが、申請方法が分からずあきらめた。手帳を取得した男性が台湾にいることを一昨年に新聞で知り、方法を問い合わせてやっと手帳を手に入れた。

賠償を求め提訴

 12人の台湾在住被爆者のうちの11人と、すでに亡くなった1人の遺族は先月23日、国に損害賠償を求め、広島地裁に提訴した。

 最高裁は2007年、日本を出国した被爆者には健康管理手当などの受給権はないとした旧厚生省の通達は違法とした。国は、訴訟で事実認定されれば和解に応じ、1人につき110万円を支払うことにしている。今回の訴訟でも、和解が成立する見通しだ。

 豊永さんは、提訴による事実認定を和解の条件にする国の姿勢を問う。「提訴は簡単じゃない。台湾の場合もこのたびの調査がなかったら難しかった。政府に償う気があるのなら、自ら探し出し謝罪するのが当然だ」

 厚生労働省によると、昨年3月までに広島や長崎などで手帳を交付された在外被爆者は、37の国と地域に4431人いるという。

 米国とブラジルには日本で被爆して移住した日系人が多い。その点、韓国と北朝鮮と同じように日本の植民地となった台湾では、移り住んだ広島と長崎で被爆し、その後に戻った人たちがかなりの数で存在すると考えられる。

 しかし、40年近く国交が断たれているせいもあって、台湾の被爆者に関する情報は現在ではあまりにも少ない。このことについて、平野さんは「被爆者の掘り起こしと実態調査を通し、台湾に被爆者自身の組織をつくることが大切」と強調する。メンバーは7月にも台湾を訪れ、調査を継続する考えだ。

 知り合いや親族が日本にいれば、手帳を申請するために被爆の証人を求めたり、援護の情報に接したりすることは、まだ可能だ。その点でも、台湾の被爆者には大きな壁が立ちふさがる。

 政府はこのことを踏まえ、台湾の被爆者に向き合う必要がある。植民地支配の下で被爆した台湾の人たちが同じ援護を受けられるようにすることは、原爆投下に至る戦争を引き起こした国としての最低限の責務である。

交流協会
 1972年の日中共同声明で日本と台湾との外交関係が断たれたことから、貿易や技術交流など実務レベルの交流を維持しようと、外務省などが認可した財団法人。本部は東京都港区、在外事務所は台北と高雄にある。

(2011年6月6日朝刊掲載)

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