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連載・特集

故郷を逃れて 3・11から3カ月 <1> 一時帰宅

■記者 赤江裕紀

思い出に決別 前を向く

 3カ月ぶりの故郷は時間が止まり、無残な姿をさらしていた。自宅の屋根瓦はずれ落ち、部屋中が雨漏り。たんすや本棚は地震で倒れたまま。「自分の家じゃないよね」。あまりの悔しさに涙も出なかった。広島県坂町で避難生活を送る渡部(わたべ)恵子さん(52)は6月4日、福島県浪江町に「一時帰宅」した。

 自宅は福島第1原発の北約10キロにある田園地帯の一角。警戒区域に指定された4月22日以降、人の出入りは禁止されている。のどかな風景は雑草に覆われて一変し、子どもたちの声も聞こえない。毎年秋にはサケが遡上(そじょう)していた自宅前の請戸(うけど)川はがれきが山積みだった。

 震災発生時、夫の洋行さん(67)と自宅にいた。激しい揺れで倒れたやかんの湯で大やけどを負い、着の身着のまま近くの小学校に避難した。足の治療や夫の介護をしながら避難所を転々とし、広島で働く次男(31)を頼って3月15日に来た。

 あの日以来の帰宅。家族の思い出が詰まったアルバムを持ち出すつもりが、雨水でぐっしょり。「放射性物質を含んでるかも」。伴った長男洋平さん(33)に言われ、思いとどまった。パソコンと携帯、趣味で集めた記念コインを所定の袋に詰めるのがやっとだった。

 久しぶりに会った地区の友人からは「戻って来ないか」と引き留められた。「離れてしまうけど、日本にいればいつでも会える」と振り切ってきた。

 「放射能汚染が怖くて、片付けさえできない。浪江はもうだめだあ」。一時帰宅は、約30年間住み慣れた家と故郷との「別れ」になった。アルバムを楽しみにしていた広島の次男には「ふるさとは無くなったんだ」と告げるしかなかった。

 骨折して入院中の洋行さんに自宅の写真を見せると、目をそむけた。「福島には一度は帰りたい」。夫のつぶやいた言葉が胸にじわっときた。

 広島では5月中旬、近くのカキ養殖会社でカキ打ちのアルバイトを始めた。洋平さんもトラック運転手の仕事に就いた。会社の同僚をはじめ支えてくれる友人もできた。近く同社のお好み焼き店開業を手伝うつもりだ。

 「前向きでいるのが皆さんへの恩返し」と渡部さん。毎朝、「がんばっぺな(頑張ろう)」と自分に言い聞かせる。

 東日本大震災から11日で3カ月。津波や福島原発事故によって住み慣れた土地での日常は奪われたままだ。心身の傷が癒えぬまま、遠方での避難生活が長引き、故郷はいっそうかすんでいる。広島県に逃れて暮らす被災家族の今を伝える。

(2011年6月11日朝刊掲載)

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