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連載・特集

故郷を逃れて 3・11から3カ月 <2> 心の傷

■記者 門戸隆彦

動悸や悪夢 懸命に耐え

 「家族は、故郷はどうなるのか。つらくて、つらくて」。陽光が差し込む廿日市市の県営住宅の一室。大塚道子さん(62)は肩を落とす。海岸そばの福島県浪江町から避難して2カ月半余り。睡眠薬と精神安定剤が欠かせない夜が続く。

 震災当日。激しい揺れで冷蔵庫や本棚が倒れ、割れたガラスが散乱した。泣いてしがみつく2歳の孫娘を抱え、必死に外へ出た。近くの港にいた夫功さん(72)は津波の危険を察知し車で駆け戻り、約2キロ離れた道子さんの実家に逃げた。

 2世帯住宅の家は福島第1原発から北へ約7キロ。原発事故以来、一度も帰っていない。地震後に撮影された航空写真には、コンクリートの基礎しかなかった。2年前にローンを払い終えたばかり。家族での国内旅行の願いもかき消された。

 同居の長男夫婦は職を失い、一家で千葉県に移った。大塚さん夫婦は、次女神田ゆう子さん(33)と孫の陽香ちゃん(1)と一緒に、ゆう子さんの夫の実家がある広島に3月14日に避難した。

 直後から、道子さんは不眠や激しい動悸(どうき)に見舞われ、通院を始めた。ショックを気遣う医師の言葉はありがたかったが、「気持ちが沈む」ばかりでこもる日々。震災のニュースを見ると夜、眠れない。穏やかな瀬戸内海でさえ、吸い込まれるようで怖い。新聞で郷里の知人の訃報に接するたび、夫婦で落ち込んだ。

 心労は、ゆう子さんにものしかかる。夫は福島で働き、離れ離れに。放射線と津波に追われる夢にうなされ、一時は子育ての自信も失った。それでも母親を気遣い、「つらい気持ちに寄り添えずにいた」とつぶやいた。

 一家4人の暮らしは道子さんと功さんの年金が頼りだ。支給された義援金と東京電力の一時金はすべて長男夫婦に送っている。道子さんは親類が職場で譲り受けた服を着て、生活を切り詰める。

 「故郷で普通に暮らしていた夢も見る。目が覚めると、あー、夢なんだって」。ゆう子さんは、泣き崩れた。気丈な道子さんも眼鏡の奥の涙を拭った。

 緑一面の稲にカエルの鳴き声、自宅前の学校からの歓声…。戻らぬ日常だ。その現実の中で道子さんの希望は、無邪気な陽香ちゃんの笑顔。離れて暮らすもう一人の孫にも「早く会いたい」と願う。

(2011年6月12日朝刊掲載)

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