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連載・特集

故郷を逃れて 3・11から3カ月 <5> 定住の模索

■記者 鴻池尚

本業で恩返し 農場探す

  蒸し暑いビニールハウスの中。慣れた手つきでプチトマトの枝落としをこなす。「トマトはこうしないと、うまくならねえんだ」。久しぶりの感触に笑みがこぼれた。福島県浪江町から広島市南区に避難している高田秀光さん(59)。農家として広島県での定着を目指す。毎週末、県内の関係者を訪ね、条件に合う農場を探している。

 ひろしま福島県人会の紹介で知り合った東広島市の農業森昭暢さん(31)の畑には月1、2回出向く。「体がなまっちまうから」と作業を手伝いながら、瀬戸内沿岸の気候、風土について積極的に情報をやりとりしている。

 5年前、長年勤めた地元の銀行を早期退職し、専業農家となった。福島第1原発の北西十数キロの田畑約1・5ヘクタールで、減農薬やアイガモ農法にこだわってきた。手掛けた野菜は45種類。「土もちょうどいい具合になってきた」と農への自信も芽生えていた。だが、3月、震災と原発事故ですべてを失った。

 避難生活は一時的と考え、結婚して広島市に住む長女を頼って3月21日に広島に来た。ところが、「警戒区域に指定」「原発のメルトダウン判明」―。ニュースを読むたび、古里が遠のく。「放射線に汚染された土は簡単に元に戻らない。10年は帰れないだろう」と自分に言い聞かせる。

 生活費を稼ぐため、4月に市役所でアルバイトを始めた。慣れないデスクワークに「やっぱり自然の中がいいな」と漏らす。これまで、紹介された7、8軒の農場を回ってはみたが、なかなか条件面で折り合わない。

 「いつまでも『避難民』でいるわけにはいかねえ。早く本来の仕事を取り戻したい」。考えるほど夜眠れなくなり、5月中旬、体調を崩した。病院で胃潰瘍と診断された。ストレスが原因だった。

 一緒に避難生活を送る妻英子さん(56)は自らも体の不調を抱えながら、「あまり思い詰めないで」と気遣う。生活基盤を少しずつ築き「広島に恩返しをしたい」と考えている。

 最近になって、交渉へと進む物件もようやく出てきた。浪江町の自宅には「一時帰宅」する予定だ。そのときには、住み慣れた故郷と田畑に「いつか必ず戻ってくるから」と告げるつもりでいる。=おわり

(2011年6月16日朝刊掲載)

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