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連載・特集

揺らぐ上関原発 <中> 地元のいま

■記者 久保田剛

募る不安 描けぬ未来像

 瀬戸内海を望む山口県上関町四代地区。「怖くなった。福島の事故が起こってなけりゃあ、思わんかったこと」。原発の建設予定地から東に約2キロ、原子炉設置場所に最も近い集落の細い路地で28日、70歳代の女性はつぶやいた。

 地区では約90世帯が暮らす。「推進派ばかり」と女性はいう。予定地の埋め立てで漁場を失う地元漁協は中国電力から補償金を受け取った。自身も建設に賛成してきた女性は、問い掛けに声を落とし、続けた。「原発はどうなるかわからんよ」。今後の賛否は最後まで口にしなかった。

 3月に福島第1原発の事故が発生し、国はエネルギー基本計画の見直しを表明。町の主な財源の一つ、原発関連交付金は来年度以降、交付されるか不透明となった。

町の人口半減

 診療所運営、子どもの医療費補助、全町民への地域振興券の発行…。町は1984年度から2010年度までに約45億円の交付金を受けて各種施策を展開。来年度以降も86億円を超える交付金や、多額の固定資産税が財政を潤すはずだった。

 「活性化すると信じ、ひたすら待ってきた。安全な原発を造ってほしいとの思いは変わらない」。町まちづくり連絡協議会の井上勝美事務局長(67)は強調する。

 町の人口は約3500人。原発計画が浮上した82年からの29年間で半減した。過疎のまちで「人並みの生活」(町幹部)を支えてきた財源がなくなる可能性もある。井上事務局長は「町づくりの将来が見通せなくなる」と不安を募らせる。

 交付金とは別に、商工業者は「特需」を期待した。中電は2009年4月、準備工事に着手。建設業者は従業員を新たに雇い、重機を購入して工事の本格化に備えた。しかし、福島の事故後、工事は中断した。

 中電は1月、秋の山口国体でボクシング会場となる同町室津の体育館へのアクセス道(延長約500メートル)を着工した。原発関連の車両通行のための整備計画を前倒しし、国体開催に協力した。

 「あれが最後。新しい工事はない」。町商工事業協同組合の浅海努代表理事(76)は打ち明ける。「国は一刻も早く原発の安全対策を確立し、建設に道を開いてほしい。町が沈没する」

デモ1100回目に

 予定地の対岸約4キロの祝島。反対派住民が82年に始め、毎週月曜の夕方に続ける島内デモは今月20日、1100回目となった。

 島に暮らし、建設に反対してきた農業磯部一男さん(88)は最近、78年暮れから約2カ月半働いた福島第1原発2号機の建屋内を思い出す。

 復水ポンプの補修では放射線を遮る鉛の板を3重に敷き、隙間から手を入れて作業した。短い時は15分で線量計のアラームが鳴り退避。その日の作業はそれで終わりだった。

 「何かあれば人間には制御できない」。島でこう伝え続けた。収束しない福島の事故の現状に「上関には絶対に造らせない」との思いを強める。

 柏原重海町長(61)は今月22日、任期満了に伴う9月の町長選に3選を目指して立つと表明した。21日の町議会一般質問で「原発のない町づくり」を考える必要性に触れながら、原発推進の立場は維持する。「厳しい戦いになる」。建設計画の浮上後、8度の町長選で全て勝利した推進派は危機感を強める。

上関原発の計画浮上と工事中断
 1982年6月29日、当時の上関町長が町議会で「町民の合意があれば進めてもよい」と原発誘致を表明。祝島住民を中心とする反対運動、用地買収の難航や訴訟などで着工の延期を8回重ねた。福島第1原発事故を受け、県と町が中電に「慎重な対応」を要請。中電は今年3月15日から準備工事を中断し、来年6月予定の本体工事の着工は困難な情勢になっている。

(2011年6月30日朝刊掲載)

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