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連載・特集

『被爆66年 つなぐ記憶』 がんと闘い平和訴え

■記者 金崎由美

中沢啓治さん 記念式典 初出席へ

 漫画「はだしのゲン」の作者で被爆者の中沢啓治さん(72)=広島市中区=が30日、中区であった自らが出演し半生を語るドキュメンタリー映画の上映会に姿を見せた。昨年秋、肺がんに侵されて手術。数日前には転移を知った。中沢さんは「原爆を生き抜いた『ゲン』のように、原爆がもたらしたがんには負けられない」と誓う。

 中沢さんは爆心地から1.2キロの舟入中町(中区)で被爆した。父、姉、弟が犠牲になり、妹も後に栄養失調で亡くなった。

 映画「はだしのゲンが見たヒロシマ」(約80分)では、被爆時の惨状、身を寄せた先での壮絶ないじめを証言。母が病気に苦しんだ末に亡くなったことが原爆と向き合うきっかけになったことを語っている。上映後、舞台あいさつした中沢さんは「原爆の問題はまだまだ解決していない」と語気を強めた。

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 2009年、白内障で視力が衰え、筆を折った。一貫して漫画を通して原爆と戦争の愚かさを告発してきた。「描くことしかできない人間には致命的だった」。そんな時、映画の収録に救われた。

 「目は見えなくても、思いを語ることはできるじゃないか」。体調不良をおして撮影を重ねた。映画は広島市でNPO法人の代表を務める渡部朋子さん(57)が企画。東京の映画配給会社「シグロ」などが制作した。

 昨年9月、がんのため肺の一部を摘出し、11月には意識不明の重体になり、死線をさまよった。「昨年の手術で命拾いしたのは、まだやり残した使命があるから」と中沢さん。数日前にがんの転移を知ったが、近く市内の病院に入り治療に臨む。生きるために…。

 ここ数年は初めて原爆を描いた短編「黒い雨にうたれて」の映画化や、視力が落ちても可能な壁画の制作を目指してきた。逆境に負けなかった「ゲン」を福島第1原発事故の被災者に読んでもらいたい。思いはあふれる。

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 8月5日にはマツダスタジアム(南区)でのプロ野球広島―巨人戦で始球式をする。原爆の日の6日は市から招待を受け初めて平和記念式典に出席する。これまでは「米国の原爆投下の責任や日本の戦争責任を、ハトを飛ばすセレモニーで覆い隠していると思っていた」。だが年を重ね「どんなものか、一度は行ってもいいじゃないか」という心境になった。

 あの日から66年。「ゲン」や自身の語りを通して「戦争も核兵器も嫌だ、という気持ちが子どもの間で自然に根付いたなら、漫画家冥利(みょうり)に尽きる」とあらためてかみしめている。

(2011年7月31日朝刊掲載)

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