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連載・特集

3・11とヒロシマ <中> 米国出身の詩人 アーサー・ビナードさん

■記者 道面雅量

生活者の言葉に核の本質

 原爆をテーマにした児童書の取材のため、3月半ばから広島市内に住まいを借りた。在住20年余りの東京と往復し、月の半分ほどを過ごす。東日本大震災と福島第1原発事故に背中を押されたという。

 「核問題に人々の意識が劇的に高まり、本を作る意味も大きくなった。広島での生活実感から見えるものがあるはず」。被爆者に会い、原爆資料館を訪ねる。「今、ヒロシマを語ることはフクシマを語ること」と、放射能の脅威に思いを巡らす。

「原爆は不要」

 英語を母語にイタリア語などを学び、今は専ら日本語で詩作する言葉の達人。「言葉のペテンに気付こう」と訴える。「核をめぐっては何度も人々を欺くキャンペーンが張られてきた」

 生まれ育った米国では、原爆投下は「戦争を早く終わらせ、多くの米兵の命を救った」と教わってきた。「極秘に投入した巨額の開発費を後から国民に納得させるためのうそ。日本の降伏は間近で必要なかった」と言い切る。

 1953年、アイゼンハワー米大統領の提唱に始まる原子力の「平和利用」は、「核の危険に気付き始めた人々の目をそらすための新商品」と例える。「原爆と原発は、核物質を一気に反応させるか、じりじり反応させるかは違うが、死の灰を生み出すのは一緒」

 広島でも56年、原爆資料館で原子力平和利用博覧会が開かれた。冷戦下、原子力の国際管理の主導権を握ろうとする米国が仕掛けたキャンペーン。「被爆地でさえ、多くの人がペテンにひっかかってしまった」

ペテンを打破

 今年6月、脱原発を訴えて広島市街を歩くパレードに連なった。手には、「国際原子力『村』機関」と書いた自作のプラカード。原子力の軍事転用を防ぎ、平和利用を進める国際原子力機関(IAEA)を、原発の監督官庁と電力会社などとのなれ合いを指す「原子力村」になぞらえてやゆした。「平和利用の名で原子力産業を太らせ、結果的に核兵器開発を支える構造を見抜こう」との主張だ。

 戦後50年の95年、初めて訪れた広島で被爆者が「ピカドン」と口にするのにはっとした。「アトミックボム(原子爆弾)という科学の言葉とは違う、生活者の言葉。アトムには進歩や未来のイメージが重なるが、そういうペテンを打ち破る力がある」

 2006年には、第五福竜丸のビキニ水爆被災を扱った絵本「ここが家だ」(集英社)の文を担当した。乗組員同士や家族の絆と暮らしの描写から核兵器の罪悪を告発した。

 執筆中の児童書「さがしています」(仮題、童心社)は、原爆犠牲者の遺品が主役という。焼け焦げた弁当、鉄瓶、時計、ドレス、革靴…。原爆資料館の所蔵品の写真に物語を付ける。

 「原爆が奪い去った持ち主の生活を、日々の愛用品が語るスタイルにする」。大震災を経て、あらためてヒロシマから発信するメッセージだ。「生活者の目を取り戻し、核の本質を見抜くこと。それが3・11への応答になる」

Arthur Binard 
 1967年、米ミシガン州生まれ。90年に来日し、日本語で詩作を始める。2001年、詩集「釣り上げては」(思潮社)で中原中也賞受賞。

(2011年8月4日朝刊掲載)

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