×

連載・特集

『わたしの平和宣言』 ヒロシマ見つめ誓う反戦

 被爆66年の夏の7月7日から8月20日まで朝刊社会面で40回連載した「わたしの平和宣言」。9歳から96歳までの幅広い読者から396本の投稿が寄せられた。ことしは、3月11日の東日本大震災と福島第1原発事故が起き、「核」と、自らの生活を見つめ直す年となった。平和な未来を築くためヒロシマの経験を生かそう―。一字一句に強い決意があふれていた。(岡本圭紀、里田明美)

フクシマ 重なる衝撃 原発や暮らし 問い直す

 原爆の日前後に紙面で紹介した「わたしの平和宣言」。個人・団体から寄せられた宣言は、それぞれ力強い意志が表れていた。生活を見つめ直し、何ができるのかを問う「行動の誓い」である。

 「命が尽きる」まで証言すると記した96歳の被爆者、「3世」に記憶をつなぐ50歳女性、核兵器の恐ろしさを「自分の言葉で伝える」ために学ぶ16歳の高校生。ヒロシマの経験と訴えのバトンはつながっている。

 被爆者の手書き原稿は、丹念に言葉を選び、何度も書き直した跡がうかがえた。あの日の惨状を伝えようという思いがにじんでいた。記憶を呼び起こす作業が、どんなにつらいことなのか教えられた。

 東日本大震災を受け、「核」とどう向き合うかの自問も目立った。エネルギー政策の在り方を考え、安心して暮らせる環境づくりへの一歩を刻んだ。

 核兵器廃絶や争いをなくすための提言は多岐にわたる。「脱『核の傘』」「非核三原則の法制化」など政府の取り組みを促す一方、戦争を肯定する主張も考察するべきだとの意見もあった。

 NIE(教育に新聞を)活動の広がりとともに、授業で宣言づくりをする学校や、学級単位の投稿もあった。原爆や震災に関する記事を読み、それぞれの考えを深めていた。

 「やさしい気持ちを大切にする」「生きていることに感謝し、精いっぱい生きる」…。級友たちと語り合い、つづった言葉。被爆地の経験と震災被災地が結びついている。


核廃絶 地道に訴え 胎内被爆の苦悩を胸に

ボランティアガイド 三登浩成さん

 ボランティアガイドの三登浩成さん(65)=広島県府中町=はほぼ毎日、広島市中区の平和記念公園で観光客に被爆の実態を語る。取材を受ける機会は何度もあったが、自分の言葉で伝えようと「平和宣言」に応募した。

 「核兵器はどう使われようと間違っている」。原爆を歴史の一ページと捉えず、原爆そのものの非人道性を訴え続ける。自身は胎内被爆者だ。福島第1原発事故についても「内部被曝(ひばく)に関してヒロシマと同じことが違う形で起きている。被爆者の体験が生きていない」と危機感を強める。

 ファイルにまとめた被爆当時の写真などを見せながら、被爆の実相を正確に分かりやすく、相手の心に響くように伝える。「すぐに核兵器を廃絶できないのは分かっている。でも『核兵器なんて使うものじゃない』とみんなが意識すれば、保有国のリーダーは使えなくなる」。原爆の恐ろしさを地道に一人一人の心に刻んでいる。


祖父母の体験 後世に伝える

安田女子大1年 中村春日さん

 同居する祖父母から原爆の話を聞いて育ったという安田女子大1年の中村春日(はるか)さん(18)=広島県熊野町。「聞いた話を伝えていこう」と投稿した。

 「原爆への恐怖が薄れると戦争につながる。核兵器への恐ろしさが薄れること自体がとんでもない」。小中高と進むにつれ、平和学習の機会が減っていった。原爆が落とされた日時を正確に言えない子どもたちが増えることも大きな問題だと感じ、宣言を書いた。

 「いまこそ私たちは過去と現在をしっかり学んで未来を考えていかなくては」。毎日、新聞記事をスクラップしながら、考え続けている。


世界中 友だちに/広島復興に誇り

 寄せられた投稿の中で、これまでに掲載できなかったものの一部を抜粋して紹介する。

広島県府中町
伊与田慈恩さん(9)府中東小3年
 世界中のみんなが友だちになればいいと思います。たたかわないと決意すれば大切な命がすくわれるのです。

広島市佐伯区
光井佑希さん(15)湯来中3年
 津波に襲われた被災地。多くの命と生活が奪われました。「被爆後の広島」と表現される意味がわかりました。

広島市南区
細谷みのりさん(17)星槎国際高2年
 なでしこジャパンの活躍に勇気づけられた被災者も多いと思います。私も努力を重ねる大切さを学びました。

広島市東区
山村康平君(18)広陵高3年
 自分の弱さを隠すため、いじめがおきます。でも人には情があります。人は分かり合えると信じています。

広島市東区
鈴木南海子さん(16)広陵高2年
 ベトナム戦争の報道番組で元兵士が30年前に殺した敵兵の娘に謝罪しました。小さな行動でも世界は変わります。

三次市
山崎信子さん(88)
 被爆直後、近くにいた看護師さんに腕を止血してもらえ、命を助けられました。名前を聞かなかったのを後悔しています。傷は原爆の証しです。

 生かされて 幸せ思う 合歓(ねむ)の花

廿日市市
杉岡しのぶさん(87)主婦
 初めて訪れた似島(広島市南区)。原爆慰霊碑に火がともされ、桟橋では似島学園の子どもたちが手作りの灯籠を流しました。

 若人に 幸多かれと 祈りつつ 礎捧(ささ)げし 御魂(みたま)安かれ

東広島市
本谷正輝さん(82)農業
 終戦の日は毎年、日記を読み返します。「1億玉砕ではなかったのか。何のための義勇隊か。学徒動員だったのか。何をする気にもなれない」。若さ故の憤り。今、静かに当時をしのび、平和を思っています。

広島市佐伯区
木原春美さん(55)主婦
 互いが互いを思いやる毎日があれば平和へ向かう。「きずなを見直し、今こそ実践を」と呼び掛けたいです。

広島市中区
大橋和子さん(78)主婦
 左ほおに残る原爆の傷痕にいまだに納得がいきません。逃げまどう人々の姿が脳裏から離れず苦しんでいます。

広島市佐伯区
亘幸男さん(70)
 福島第1原発の事故で周辺住民が目に見えない放射能の恐怖に巻き込まれ生活基盤を覆された。豊かさや便利さでなく、普通の生活ができることが幸せと気付きました。

広島県府中町
坂本道雄さん(56)会社員
 会社の社是に「謙譲」があります。相手の意見や立場を尊重することの大切さを説くこの言葉こそ、平和の原点だと思います。

東広島市
佐々木猛也さん(71)弁護士
 人類は自然を制御できません。核も制御できません。核廃棄物処理の方策を知りません。核兵器も原子力発電所も、人の命の重さ、人の尊厳の思想を持ち合わせていません。

江田島市
増川政治さん(72)
 いかなる国、いかなる民族であっても、己の欲望や顕示欲で人間の生命を抹殺する権利はありません。

広島市中区
沖友いずみさん(51)主婦
 心掛けているのは小さな思いやりのひと言。「ありがとう」の言葉には心を静める力がある。笑顔を添えてひと言運動を実践していきます。

広島市佐伯区
内藤達郎さん(69)歯科技工士
 碑巡りガイドをしながら「ヒロシマの心」を語っています。それは争いによる報復の連鎖を断ち切ることです、と。

広島市南区
岩田皆子さん(18)広島なぎさ高3年
 広島の街を復興させた人たちを誇りに思います。人々が協力して生きていくことに平和の原点があると思います。

広島市安芸区
二宮正治さん(57)自営業
 母の初恋の相手は原爆の後遺症のため数年後、20歳で亡くなりました。死ぬ間際、涙ながらに言ったそうです。「今度生まれる時はお互い平和な時代に」。愛の物語を外国人に語る時、みんな泣きます。

広島市中区
渡部優花さん(26)臨時職員
 核兵器廃絶と被爆者救援を求める被爆者運動があったからこそ今の平和がある。運動の存在も伝えていかなければならないと思います。

広島市西区
古田萌栞(ほのか)さん(12)山陽女学園中等部1年
 私たちがしっかり被爆体験を聞くことが大切。語り継がなければ66年前の悲劇はなかったものになる気がします。

学校やクラスで寄せていただいた学校名

広陵高(広島市安佐南区)
府中東小(広島県府中町)
湯来中(広島市佐伯区)
星槎国際高(広島市中区)
府中緑ケ丘中(広島県府中町)

(2011年8月23日朝刊掲載)

年別アーカイブ