×

連載・特集

『9・11テロ10年 中国地方では』 監視の目 安全の意識変化

 米中枢同時テロ事件から11日で10年。中国地方でも対象の見えない恐れや不安がある一方で、異文化理解や平和構築の新たな動きも出てきた。社会の変化と関係者の思いを伝える。(川井直哉、教蓮孝匡、馬上稔子)

 16年間暮らした米国から帰国して1年。広島市西区の派遣社員渡辺美幸さん(45)は繁華街を歩くたび、「以前とは違った雰囲気」を感じる。目につく監視カメラや警備員の姿、JR車内で不審物への注意を促す放送…。

 夫の仕事で米国オハイオ州滞在中の2001年9月、米中枢同時テロが起きた。数年後、国際線の搭乗手続きで小学生の長女まで上着や靴を脱がされたことが、わだかまりのように胸に残る。久しぶりの故郷。その風景の変化に戸惑う。

警戒の張り紙
 「テロ対策警戒実施中」―。広島バスセンター(中区)の乗り場には数カ所にこう書かれた張り紙がある。中心部の商店街では数十台の監視カメラが道行く人を写し続ける。

 「安全は積極的につくり出すものという認識が強まってきた」。西区で防犯機器製造会社を経営する奥田企三宏さん(39)は危機意識の変化をこうみる。

 中国地方で暮らす外国出身の人たちはどう感じているのか。

 「9・11直後はテロリストかと言われた」と、岡山市で15年以上暮らすスーダン出身のアハメッド・ナジさん(44)。イスラム社会への警戒感を強めた日本では、空港で自分だけが警察官にパスポートの提示を求められたことも。「外見で不審の目を向けるのはおかしい」と憤る。

 ただ、「市民はイスラム教や文化を知らず怖がった。徐々に関心を持ち理解しようとする人が増えてきた」とみる。2年前、同市内にモスクも兼ねた集会所を開設。県内外での市民講座でイスラム文化を伝えてきた。

平和学を志す
 広島大大学院に留学中のアフガニスタン人シャムスル・ハディ・シャムスさん(27)=東広島市=は、米国主導の対テロ戦争で焼け野原となった母国の惨状を目の当たりにした。平和学を志して2007年に来日し、原爆被害から復興した広島で学ぶ。「報復ではなく平和を訴え、復興した広島。必ず母国も立ち直れる」と信じる。

 同時テロ後の10年、中国地方の米軍基地そばの住民も不安を募らせてきた。テロ後に沖合に滑走路が移設されるなど基地機能を強めてきた米海兵隊岩国基地(岩国市)周辺では危機感が強まる。

 基地フェンス沿いの同市車町に住む津川育雄さん(74)。母屋のひさしには、終戦前の空襲で開いた穴が残る。「軍事的役割が強まるほど、攻撃目標となる可能性は高まる」と心配する。愛宕山の米軍住宅化に反対する市民団体の岡村寛世話人代表(67)も「米軍施設へのテロは想定外ではない」と強調する。

 テロ後10年について吉備国際大大学院の高橋正己教授(社会学)は「日本では警戒心の強い社会が静かにつくられてきた」と分析する。その上で「根拠のない恐怖や不信を取り除くため、殻に閉じこもらず、相手の文化や宗教を知る努力が必要だ」としている。

(2011年9月9日朝刊掲載)

年別アーカイブ