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連載・特集

広島県の「国際平和拠点構想」 核廃絶 五つの役割

 広島県は、核兵器廃絶に向けて果たすべき役割を示す「国際平和拠点ひろしま構想」をまとめた。多国間での核軍縮交渉や平和構築のための人材育成に積極的に関わり、核兵器廃絶の後押しを目指す内容だ。県の平和行政では初めて核問題に踏み込むが、世界から人材や資金をいかに被爆地に集めるかなど実現へのハードルは高い。構想の特徴や課題をみる。(加納亜弥)

 「これから広島が50年、60年にわたり、平和に関して取り組むべき新しい方向がまとまった。これまでも被爆者の証言などを通じて世界に影響力を与えてきたが、新たな形で継続的に世界へ影響力を与えるものだ」。4日、県庁で構想を正式発表した湯崎英彦知事は自信を見せた。

 構想策定委員会には明石康元国連事務次長や、2007年に「核のない世界」の実現に向け提言を発表したウィリアム・ペリー元米国防長官、「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会(ICNND)」で共同議長を務めた川口順子元外相、ギャレス・エバンズ元オーストラリア外相たちが名を連ねる。

 構想のメーンとなる行動計画は、核兵器廃絶のロードマップの支援▽核テロの脅威の削減▽平和な国際社会構築のための人材育成▽核軍縮、紛争解決、平和構築のための研究集積▽持続可能な平和支援メカニズムの構築―の5本柱。

 具体的には、多国間の核軍縮交渉開始を目指し、核兵器保有国の政府高官たちが個人の立場で参加する「広島ラウンドテーブル」の開催を提案。核拡散防止条約(NPT)再検討会議の最終文書の実施状況など核軍縮に向けた動きを評価・採点する仕組みづくりや研究の拠点創設、地域紛争の解決を担う専門家の育成などを挙げる。

テロや紛争重視

 核をめぐる国際情勢や日本の安全保障を米国の「核の傘」に委ねてきた現実を踏まえた行動提案といえる。米中枢同時テロで懸念が広がる核テロや地域間紛争を防ぐための取り組みも重視した。

 構想の特色の一つは世界から人や研究成果、資金を集める仕組みづくりを掲げたことにある。財団や資産家からの資金提供の受け皿を整備し、平和のための投資を広島に呼び込もうとの考えだ。「自治体の財政負担に依存すれば行動の持続は難しい」との湯崎知事の意向を反映した。

 湯崎知事は構想をアピールするため、5日から訪米している。国連本部で潘基文(バンキムン)事務総長と面会するほか、核拡散防止に取り組む民間団体「核脅威イニシアチブ(NTI)」など複数の団体を訪問。理解と協力を要請し、資金調達などへの助言を求めるとみられる。

 知事の米国の訪問先を段取りした一人で策定委の作業部会メンバー、一橋大大学院の秋山信将准教授(国際政治)は「アイデアさえ良ければ資金提供は期待できる。一方で『自治体レベルで何ができるのか』という懐疑的な反応があるのも事実だ」と指摘する。

 特色のもう一つは平和行政での広島市との関係について、「すみ分け」から「連携」へ転換する姿勢を鮮明にしたことだ。

 県が平和への貢献について過去にまとめた構想は二つある。「広島国際貢献構想」(1996年)と「ひろしま平和貢献構想」(2003年)。それぞれ被曝(ひばく)者医療の拠点整備や、紛争地域の平和構築支援が柱だ。核兵器廃絶の訴えや被爆実態の発信をリードしてきた広島市との役割分担を重視してきた側面が強い。

 今回の構想では「県と市が強みと個性を生かし、一体のコミュニティーとして難問に取り組む」と明記した。松井一実市長は「意義がある」と構想を評価し、連携に期待感を示す。

意思疎通が課題

 構想を進めるには、これまで以上に県と市のトップ同士の意思疎通が鍵を握る。作業部会メンバーの広島市立大広島平和研究所の水本和実副所長は「知事は現実を踏まえ、核兵器廃絶に向けた実質的な行動を志向する。一方で松井市長は被爆者団体や平和団体の反応も重視するだろう。両者の政治家としてのスタンスも注視する必要がある」とみる。

 広島の平和拠点化を目指す構想。5月からの策定作業について県国際課は「手探りだった」と振り返る。国内外の著名人を策定委員に起用したがゆえに全員が集まったのは10月の1回だけ。委員間の電子メールなどでのやりとりを土台にした作業部会の原案を、その1回の会合で練り直した。財源や実施の枠組み、実施時期のめどなど具体的な内容を詰めるのはこれからだ。

 構想が世界の注目を集めるには、求心力を持つ提案と行動が欠かせない。その前提は被爆地広島の機運を高め「オール広島」で息の長い取り組みとすることだ。そうした観点から構想を肉付けし、実現に向けたロードマップを示す必要がある。


意義や狙い 湯崎知事に聞く

持続可能な仕組みに 人や知が集う結節点目標

 広島県が策定した国際平和拠点ひろしま構想の意義や狙いを湯崎英彦知事に聞いた。

 ―構想策定は知事選(2009年11月)の公約でした。なぜ今、構想が必要ですか。
 核テロなど新たな脅威の時代を迎えた一方、被爆から66年がたった中、広島が果たすべき新しい平和貢献の形をもう一度考える必要がある。被爆者の世代から、被爆を体験していない世代への交代は避けられない。

 核兵器がどういうものかという認識は、父(被爆者の生活を追跡調査した湯崎稔元広島大教授)から引き継いだものはあるが、父は学者で原理的な思想家の面があった。自分は政治家。現実主義的なアプローチをしたい。

 ―構想で最も訴えたいことは何ですか。
 自立的に持続する平和貢献のメカニズムを作りたい。自治体の予算だけに依拠した活動には限界がある。その時のトップの考えによっても変わる。行政が何をするべきかではなく、広島という地域がどんな役割を果たすべきかということ。10年間くらいかけて構想の最終形にたどり着きたい。

 ―10年後の青写真は描けていますか。
 世界の人たちが共感して、プロジェクトを組成する。そこに人や知などの資源を集めて動かし、活動を回転させていく姿。広島はもっと人を引きつけることができる。被爆地が世界平和の結節点になり、「広島に来れば世界の平和に役立つことができる」というふうになればいい。

 ―構想の策定委員に著名人を集めました。
 同じことを言うにも、世界が耳を傾ける人が策定したということに意味があるからだ。最初から委員が集まって話し合うという組み立てにしていなかった。皆さんは忙しく、意見をまとめるのに苦労したが、世界にインパクトのある提言ができたと思う。

  ―構想で明記した広島市との連携をどう進めますか。
 ある程度の役割分担は重要。被爆の実態を世界に伝えるため松井一実市長が掲げる「出かける平和から迎える平和」は広島が果たす役割の柱の部分。県はそこから派生し、拡大する部分を担いたい。」

(2011年11月7日朝刊掲載)

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