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連載・特集

1万3000人の「黒い雨」 データの意義を聞く <上>

放射線影響研究所 寺本隆信・業務執行理事

 広島と長崎で被爆直後に「雨に遭った」と1万3千人が答えたデータが、放射線影響研究所(放影研、広島市南区・長崎市)にあることが分かった。なぜこれまで公表してこなかったのか。「黒い雨」指定地域の見直しをめぐり厚生労働省の検討会が続く中、このデータをどう活用するのか。放影研の関係者と研究者に聞いた。(金崎由美)

 ―今回明らかになったデータとは。
 「寿命調査」と呼ばれる被爆者の追跡調査を1950年代に始めるに際し、対象者に面接調査をした。面接に使った質問票に「雨に遭ったか」という一問があり、「はい」と答えたのが広島、長崎を合わせて約1万3千人いた。

 ―大量なデータの存在がなぜ分からなかったのですか。
 最近までコンピューター入力されていなかった。当時を推測するしかないが、放影研の研究方針である直接被曝(ひばく)の放射線のリスクに関連した項目を優先して入力した可能性がある。

 被曝線量の評価をより精緻に行うため、調査項目はいまもデータ入力を続けている。その過程で「雨に関する情報もデータ入力しては」という指摘が内部であり、2007年から始めた。この作業を通して分かった。

 ―放影研がデータを隠してきたとの指摘があります。
 まとまったデータの存在が浮かび上がったのが最近であり、マスコミの取材の場でも何度か話している。例えば、昨年3月の専門評議員会後の記者会見で「質問票に『黒い雨を経験したかどうか』というデータがあるのでもう一度点検する」ときちんと説明した。

 それに、長崎の研究所では毎年の施設公開で黒い雨の項目を含んだ当時の寿命調査の質問票を展示している。

 ―黒い雨の健康影響を示唆する72年の放影研職員による報告書も明らかになりました。
 執筆者は研究員ではなく事務職員で、米国の研究所に長期出張した際、被曝の影響に関する別の調査を基に書かれた。放影研の正式な学術報告書ではなく、存在を把握していなかった。隠すようなものではない。

 ―データは公開、活用しますか。
 データには雨の色、浴びた量、時間帯などの質問はなく、科学的な活用は簡単でない。具体的な研究計画もないが、活用は検討している。

 これまでも本人から請求があれば情報を開示し、被爆者健康手帳の申請書類などに役立ててもらっている。ただし個人情報が含まれたものをそのまま公開するわけにはいかない。今回のことでデータが注目されていることは認識しており、対応を真剣に検討する。

てらもと・たかのぶ
 広島市西区生まれ。東京大法学部を卒業し1976年、労働省(現厚生労働省)入省。在米日本大使館参事官、同省労政局労政課長、宮城労働局長などを経て2005年から放影研業務執行理事。58歳。

放射線影響研究所
 原爆放射線による健康影響を調査するため、1947年に米国学士院が広島市に開設した原爆傷害調査委員会(ABCC)が前身。75年、日米両政府の共同出資で運営する放影研となった。広島市南区と長崎市に研究所を置き、所管は米側がエネルギー省(DOE)、日本側は厚生労働省。被爆者の健康や被爆者の子どもに関する調査などを行っている。

(2011年12月14日朝刊掲載)

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