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連載・特集

放影研データ問題 黒い雨 開かれた研究を

 福島の原発事故で低線量・内部被曝(ひばく)の問題がクローズアップされる中、被爆地にある日米共同の研究機関、放射線影響研究所(放影研、広島市南区・長崎市)の活動にあらためて目を向けたい。前身の原爆傷害調査委員会(ABCC)発足から数えて65年。放射線が人体に与える影響を一貫して主な研究テーマとしてきたその基本姿勢が問われている、と思うからだ。中でも、昨秋来浮上した「黒い雨」データの問題は、被爆者や地元自治体などの協力で続けてきた研究がいったい誰のため、何をするために行われたものだったのか、との疑念さえ抱かせる。(難波健治)


追跡調査 公表せず 利用許可にも高い壁

 放影研は昨年12月20日、前身のABCCが1950年代に実施した調査で、原爆投下後に黒い雨を浴びたと回答した人たち(広島1万4633人、長崎904人)のデータを基に分布図を作製し、公表した。

 しかし、公表された地図は「黒い雨に遭った」とする地点をそのまま落としたもので、地名と人数が別紙に記載されてあるだけ。何の解析も加えず、国が現在、援護を実施している「大雨地域」とそうでない地域の区分けもなかった。

 基になったデータのうち寿命調査(LSS)の対象者(広島1万2269人、長崎853人)はその後の健康状態や死亡状況などを追跡しており、放射性物質を含んだ黒い雨との関係を検証できる可能性がある。だが、放影研はこれらのデータを公表し、解析する考えは示していない。

 放影研が黒い雨データを保有していることが公になったのは昨年11月8日。そのきっかけとなった「オークリッジリポート」(72年)を長崎の医師が発見したのは9月末のことである。

 国に黒い雨指定地域の拡大を要望している広島市や長崎市、黒い雨被害を訴える住民団体はその後、放影研にデータの公開と解析などを求めてきた。厚生労働省による黒い雨地域拡大に関する検討会が開かれている中、昨年末になっての分布図公表は、あまりにも限定された、遅い対応と言わざるを得ない。

米政策に協力

 ここで思い出すのは、2009年秋に決まった米国立アレルギー感染症研究所の「放射線・核の脅威への医学対策」研究計画への放影研の参加である。地元被爆者団体や放影研地元連絡協議会の一部メンバーが「核攻撃を前提とした研究に被爆者の資料、標本などを使うことは許せない」と反対したにもかかわらず決定した。

 地元自治体や住民・被爆者らの願いにはまともに応えようとせず、一方で米国の核政策に直接、間接に関わっているかもしれない政策に安易に追随する姿勢がそこに表れている、といえないだろうか。

「過去は過去」

 放影研は保有するデータの公開について、外部の研究者でも所定の手続きを踏めば利用できると強調する。しかし、額面通りには受け取れない。なぜならデータの利用が認められるには、その研究計画が内部の委員会で承認されるだけでなく、「国際的に権威のある専門家」たちによる承認も必要だからだ。

 現にABCCや放影研ではこれまで、入市被爆による残留放射線の影響に関する研究が結局、企画されながら実施されなかったり、内部被曝に関する健康調査が途中で打ち切られたりしたことなどが明らかになっている。

 広島・長崎をはじめ国内の研究者らの間でも、放影研の研究に期待する一方で、もっと自主的で開かれた研究機関になるよう求める声が少なくない。

 広島市と県の黒い雨調査の解析を担当した広島大原爆放射線医科学研究所の大滝慈教授(統計学)もその一人。大滝教授は、黒い雨データ発掘のきっかけとなったオークリッジリポートについて「何よりも40年前、当時のABCCの中で黒い雨の人体影響に注目した人がいたことに意味がある」としたうえでこう語る。「過去は過去。これから放影研が黒い雨データについてどんな態度で臨むのか、その点に期待したい」


放影研・大久保理事長に聞く 「偏り」あり解析困難

 放射線影響研究所の大久保利晃理事長に、低線量被曝問題などについて聞いた。

 ―低線量被曝問題に放影研はどう関わってきましたか。
 被爆に関して放影研の研究は過去のデータに基づいている。いまさら被爆当時の新しい情報は入手できない。福島の原発事故があったからといって変わるものではない。

 「低線量被曝は人体に影響がない」と放影研が主張しているように言われるが、それは誤解だ。低線量被曝のデータは少なくない。それでもまだ不十分で結論が出せないでいる。現在、研究を続けていることを理解してほしい。

 ―残留放射線、内部被曝は?
 被爆者一人一人の行動記録はいまさら入手できないから、やろうにもできない。

 ―放影研のデータは放射線の人体への影響を過小に評価しているとの指摘があります。
 直接被曝の放射線量を基に研究し、放射線防護の基準をつくるうえで役に立つデータを提供している。線量推定の誤差に対し、残留放射線や内部被曝は相対的に小さい。むしろ人体影響を過大に評価している。

 ―福島の事故への対応は。
 請われて現地に出向き健康調査の質問票づくりなどで協力してきた。「今これを具体的に聞いておくべきだ」といったアドバイスをしている。

 ―放影研は、研究の見直しをしていると聞きました。
 2007年に「線量委員会」という組織を発足させた。私たちの研究ベースである寿命調査(LSS)集団の一人一人の被爆地点をより正確に記録するための見直しなどとともに、「黒い雨」についても浴びたか浴びなかったかによって健康影響にどんな差があるのか、を調べようと考えていた。

 ―それは「オークリッジリポート」が見つかる前のことですね。
 データの打ち込みが終わったころ、リポートが見つかった。それまでも外から黒い雨について見解を求める声が届いていた。データがあるのだから、調べておく必要を感じていた。

 ―研究は進んでいるのですか。
 まだ分析には着手していない。うちの場合、研究をスタートさせるには、所内の委員会に諮ったうえでさらに外部の国際的な専門家の見解を求めたうえで動きだす。

 ―見通しは?
 厳しいかもしれない。なにしろデータに偏りがありすぎる。

 ―偏りとは?
 私たちの調査対象者は、常にどこで被爆したかを軸に選んでいる。爆心地から遠ざかるほど抽出率が低くなる。割合が多い爆心地近くの人たちは直接被曝でもともと高線量の放射線を浴びているから、黒い雨を浴びていたとしてもその影響がつかみにくい。

 ―だからといって、データを解析しない選択は考えられないのでは。
 正式な研究プロジェクトとしては実施できないと思うが、何らかの結果はお見せしたい。

 ―データは公開しないのですか。
 外部の研究者には所定の手続きをしてもらい、研究する意味が認められた場合はデータを提供する。


おおくぼ・としてる
 1939年、東京生まれ。慶応大医学部卒。産業医科大教授、同学長などを経て、2005年4月、放影研副理事長。同年7月から現職。専門は環境医学。

オークリッジリポート
 長崎で「黒い雨」問題に取り組んでいる本田孝也医師が昨年の秋、インターネットで見つけた英文のリポート。1972年、当時のABCC調査課長が米国のオークリッジ国立研究所研究員と共同で書いた。ABCCのデータを基に、黒い雨を浴びた人に放射線による急性症状が認められるとした。この論文の評価をめぐり、ABCCの後継機関である放影研に、1万人を超える黒い雨データがあることが分かった。

(2012年1月16日朝刊掲載)

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