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連載・特集

脱原発世界会議 横浜 「脱核時代」への一歩

 横浜市で先月開かれた「脱原発世界会議」は、非政府組織(NGO)6団体の実行委員会が催し、2日間で延べ約1万1500人が集まった。約100団体が参加し、ボランティア延べ500人が運営を支えた。福島第1原発事故発生から1年を前に、脱原発を求める市民の思いが形となって表れたといえる。反核運動の新たな潮流になりうるか。会議を振り返り、今後を探る。(岡田浩平、山本洋子)


市民が主役 思いを共有 被爆者も参加 今後の展開課題

 1月14日の会議初日の開会行事。パシフィコ横浜の千人を収容するメーン会場は満席となり、開始時刻になっても400人以上が入り口に並んだ。

 「原発のない、二度とヒバクシャをつくらない地球社会にしよう」。ピースボート共同代表の吉岡達也実行委員長(51)が力強く呼び掛けた。

 会議のPRはインターネットや記者会見、口コミが中心。前売り入場券は2日間3900円。不安が入り交じる中で迎えた会議初日の熱気に、実行委は大きな手応えを感じた。

 メーン会場と600人規模の会場で順次開いた13の全体会議はほぼ満員。テーマは、福島の事故▽原爆をはじめ世界の核被害▽自然エネルギーなど多岐にわたった。約30カ国・地域から参加した原子力の専門家ら100人が意見発表。原発と核兵器開発を取り上げた会議では、ヨルダンの国会議員が日本からの原発輸入に反対した。

 川崎市の会社員大浜南海子さん(26)は「国境を越えた熱心な議論に驚いた。世界と手を携え、どんな将来を選ぶか考えなければ」。横浜市の大学3年、浜本真二さん(21)も「事故の原因や影響をめぐるネット議論を追いかけてきた。漠然としていた考えが具体的になった」と話した。

交流深める工夫

 とはいえ、会議自体は時間も限られ、長年の議論で出尽くしている核や原発をめぐる論点を深める内容ではなかった。実行委の中心となったピースボートの川崎哲共同代表(43)は会議の狙いを「脱原発デモに参加し、もっと勉強してみようと思った人をターゲットにした」と説明する。交流を重視し、全体会議で隣り合った参加者が脱原発への思いなどを互いに語る時間を設ける工夫もした。

 実行委が目指した「市民参加」色が濃く出たのが50~150人規模の7会場で繰り広げられた市民団体の持ち込み企画。被爆者の体験を聞く会では、約50人が車座になり「核の問題を本気で考えねば」などと語り合った。内部被曝(ひばく)の危険性を訴える研究者らの報告会では父母らが健康不安について質問を浴びせた。

 会場外にもさまざまなブースが登場した。明治学院大の学生団体「Peace☆Ring(ピースリング)」は首都圏の学生170人に原発についての考えを聞き、本人の写真入りで紹介。代表の2年鎌田千尋さん(20)は「脱原発について思いを発信し、共有できる仲間とつながる機会になった」と意欲的だ。

 世界会議の熱気を今後にどう生かすか。1カ月たった今も関係者たちは最大の課題ととらえている。

 世界会議では、福島第1原発がある福島県双葉町をはじめ原発周辺の自治体首長6人が参加した特別会議があり、脱原発や福島の被害者支援に取り組む首長ネットワークの発足を目指す方針を確認した。川崎さんらが準備を進めている。

 また「東アジア脱原発・自然エネルギー311人宣言」も発表され、日本、韓国、中国のNGOが連携して脱原発を訴える構想も起きている。

自主性に委ねる

 しかし、一般の参加者が今後どう活動するかは各自に委ねた。

 吉岡実行委員長は「押し付けた活動ではなく、自主性がエネルギーを生む。当面は思いを共有する場をつくるのが私たちの重要な役割だ」と言う。実行委の一つ、原子力資料情報室の伴英幸共同代表(60)は今後の展開について「脱原発世論をもっと広めるため、関心のない人へシンプルなメッセージを伝える努力が重要だ」とみる。

 世界会議には老舗の反核団体のメンバーも訪れた。日本原水協事務局の前川史郎さん(32)は「同世代に脱原発を求める人が多いと確信した。今後の活動を高め合えれば」と手応えを語った。原水禁国民会議の井上年弘事務局次長(53)は「一過性の会議に終わらせないため、今後の活動が主催者も私たちも問われる」と指摘する。

 ピースボートが世界会議を呼び掛けた出発点には、ヒロシマ・ナガサキに始まる「核時代」に生きるヒバクシャの経験が、フクシマを考える上で土台になるとの認識があった。

 広島市東区から参加した被爆者、田中稔子さん(73)は「原発は時代の流れだと安易に受け入れた反省に立ち、新たなヒバクシャを生むのを止めなければ」と決意を語った。

 会議の「横浜宣言」には、ウラン採掘から廃棄物処理まで核をめぐるサイクルからの「段階的な脱却」が明記された。被爆者と「ポスト3・11」の市民の共鳴が、「脱核時代」に向けて動きだそうとしている。


有権者の意志で実現を

上野千鶴子・東京大名誉教授

 「日本は汚れてしまった。こんなことはもうやめよう」。脱原発世界会議の閉会行事で行動を呼び掛けた社会学者の上野千鶴子・東京大名誉教授(63)に、会議の意義や脱原発実現の鍵を聞いた。(岡田浩平)

 ―今回の会議の意義をどう考えますか。
 世界から地域、世代、背景が多様な人たちが1カ所に集い、「脱原発」を発信したことに大きな意義がある。米国の水爆実験で被害に遭ったマーシャル諸島の人が参加するなど、日本以外にも多くの核被害者がいるというグローバルな視点を持てたのも大きい。

 ―1万人余りが来場したのは驚きました。
 福島の事故を機に、何かしたいという圧力が高まり噴き出したのだろう。だけど、こうなるのに高い授業料を払わなければならなかった。広島、長崎の原爆、第五福竜丸事件…。これらは受動的被害だが、JCO臨界事故と今回は責めをよそにもっていけない。

 ―被爆国で原発が立地してきた背景をどうとらえていますか。
 単に電気をどうつくるかの話ではない。戦後社会や地域の権力構造、国土開発も含んだ根深い問題だ。例えば、原発立地地域への交付金の仕組みをつくった人がいて、政治家たちのスローガンは「出稼ぎに行かずにすむ地域をつくろう」だった。それに抵抗が難しかった。

 ―「脱原発」は実現できますか。
 政策を具体的に決めた政治家がいて政党、政権がある。決め方がなし崩しだったり、だまし討ちがあったりしても政治がやったのは間違いない。その政治家を権力の座に押し上げたのは有権者。身近では、だれが首長になるかで原発立地が決まる。すべて有権者が決めてきたのだから「脱原発」をできないことはない。最後は民主主義と自治の問題、自己統治だと思う。自分の運命を人任せにしないということだ。

 ―被爆地、被爆者の役割は。
 原子力は人間にとって制御不能なエネルギーであり、それを用いた原爆は非人道兵器だと証言してもらう役割は大きい。平和利用も軍事利用もどちらもやらない政策にシフトさせるのは可能だ。

(2012年2月20日朝刊掲載)

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