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連載・特集

震災避難者 それぞれの1年 <1> 町に愛着 定住の決意

渡部恵子さん(53)=広島県坂町 福島県浪江町から夫・長男と

 東日本大震災で津波や福島第1原発事故に遭い、故郷から中国地方に逃れてきた人たち。それぞれの道のりを経て、11日であの日から1年を迎える。

 「いろいろ考えながら歩くんだ。犬を散歩させている人を見たら、残してきた猫を思い出す。ボールを投げて、一緒に遊ばせてもらうこともあるよ」

 海に近い広島県坂町の2DKの県営住宅に住んで11カ月になる。駅やスーパーもあり静かな環境と、親切にしてくれる町の人たちが気に入った。次男(32)や孫3人と近隣のスーパー銭湯に行けるのもうれしい。

 「ことしは決断の年だね。ぜいたくは言えないけど、長く住むには今の家は手狭。広島で家を探したい」

 昨年6月と10月の一時帰宅。福島第1原発から約10キロ北の福島県浪江町のわが家で目の当たりにしたのは、瓦がずれ、雨漏りしてぐっしょりとぬれたアルバムや衣類…。町は草だらけだった。

 「悲惨だね。福島に帰ろうって言ってたお父さん(夫)も『帰れない』って言い始めた。家と土地の補償はどうなるのか。東電に早く決めてほしい」

 あの日、激震後に足を大やけど。思うような治療ができないまま、広島で働く次男を頼り、3月中旬に逃れた。地元では主婦だったが、家計のためにとカキ打ちやお好み焼き店で5月から5カ月間、アルバイトもした。

 「早かったよね。避難の1年だったから、ことしは復興の1年にしたいね」

 広島に住む決意を固める一方で、遠くなったふるさとを、見守り続けたいと思う。

 「思い出として昇華させたくないから、一時帰宅は続ける。自分の家や町を見続けて、現実と向き合わないとね。それに、お父さんにもらった指輪も見つかってないんだ」

 人と話をするのが好き。知人や家族に囲まれて暮らした浪江を心から懐かしむ。

 「家から顔を出せばお茶飲みに来てとか、サラダ作ったよなんて声が掛かって。ここでも立ち話をする人はいるけど、お茶飲み友達がほしいんだよね」

 11日の一時帰宅はかなわなかった。近いうちに、新しい仕事を探すつもりだ。

 「楽しかったから、お好み焼きもいいね。いつか店を開いてみたい。お客さんと話せるからなあ」(赤江裕紀)


<渡部さんと家族の1年>

2011年 3月11日 震災後、浪江町の自宅でストーブ上のやかんがひっくり返り、恵子さんが右足を大やけど。
              夫と町内の小学校へ
         16日 合流した長男と、広島市内の次男宅に避難
          下旬 広島県坂町の県営住宅に入居
       5月 6日 近くの水産会社でカキ打ちのアルバイトを始める
       6月 4日 初の一時帰宅
       7月 6日 お好み焼き店で働き始める(10月まで)
      10月22日 2度目の一時帰宅
  12年 1月     正月を坂町の自宅で過ごす

(2012年3月7日朝刊掲載)

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