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連載・特集

震災避難者 それぞれの1年 <2> 支援情報 故郷の友へ

佐々木紀子さん(40)=広島市 福島市から息子2人と

 2月下旬、内部被曝(ひばく)の問題に取り組む広島市の市民団体「繋(つな)がろう広島」の茶話会をのぞいた。関東地方から避難した親子連れを含む約50人の輪に加わった。

 「思いを吐き出しに来たんだろうね。ツイッターで会った人たちと打ち解け、同じ悩みを共有できるなんて。話をして、癒やされることもあったな」

 福島第1原発事故の直後、被曝を懸念して息子2人と一緒に福島市から夫の実家がある広島市に避難した。夏ごろから、ツイッターで知り合った繋がろう広島のメンバーと交流。他の市民グループの会合にも、顔を出す。

 「子どもが通う幼稚園のお母さんもみんな親切で、孤立感はない。これなら広島で暮らしていけるなあ」

 今月初め、福島県から避難している母親仲間と広島市で、避難者の集いを新たに始めた。

 「私も、最初は避難者の集まりで涙が出て話ができなかった。先に避難した立場で、心細いお母さんたちの役に立ちたい。それぞれに気持ちや考え方も違うが、何かあった時に連絡してほしい」

 広島に来た当初から、福島の友人に向けて放射性物質による汚染や避難者支援情報の発信を続ける。今はツイッターでも福島に向けて届け、メールで相談に乗っている。

 「長野や長崎に移った友人もいる。故郷での葛藤の中で、避難する勇気がほしい人を後押ししたい」

 この1年を振り返れば「想定外」との言葉しか出てこない。1年前は、自宅を着工する直前だった。今頃は新しい家で過ごすはずだったのに…。

 「まさか原発事故の被災者になるとは。でも、今後も事故がどこで起きるか分からない。もっと国全体の人に、自分のこととして原発や放射能汚染に関心を持ってほしい」

 11日は、復興支援コンサートを広島市で開く合唱団に招かれ、講演する。大勢の前で壇上に立つのは初めてだ。

 「原発事故を経験した私たちが、どんな未来を残していきたいのか。考えてもらうきっかけになれば」(赤江裕紀)


<佐々木さんと家族の1年>

2011年 3月12日 福島第1原発で爆発。子どもたちを外で遊ばせないようにする
        16日 福島市を出発
        17日 広島市の夫の実家に4人で避難
        22日 夫が福島市に戻る
      6月中旬  アパートで、母子3人の生活を始める
      8月    「繋がろう広島」のメンバーとツイッターで交流開始
     11月    在宅で小論文添削の仕事を始める
  12年 3月    福島から避難した母親仲間と避難者の集いを始める

(2012年3月8日朝刊掲載)

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