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連載・特集

3.11以後 復興と表現 第1部 現場から <3>

◆美術家 原仲裕三さん(54)=広島市安佐北区

世の中 見詰め直すとき

 津波に洗われた大地にひれ伏すかのように、グニャリと折れ曲がった送電鉄塔。東日本大震災直後、福島県南相馬市で撮られた一枚の写真に衝撃を受けた。「悲しみや恐れを内包した生き物のように見えた」。この送電鉄塔と福島第1原発に宛てた2枚一組の絵はがきを制作。自らも含め、さまざまな人々に投函(とうかん)してもらう表現活動を展開する。

はがきに思い

 「自然との共存を」「原発はいらない」「一日も早く、元の姿にかえりますように」…。広島をはじめ国内外の老若男女が思いを書き添えたはがき。送電鉄塔宛ては「あて所に尋ねあたりません」との赤いスタンプが押され、差出人欄に印字されている住所に返ってくる。形となり、記録される反原発、反核の意思。2月末までにその数は約500枚に上った。

 17年前、ヒロシマを世界に伝える表現として、原爆が投下された日時を起点とする「HIROSHIMA TIME(ヒロシマ時刻)」を発案。国内や欧州で時刻をモチーフにした作品を発表してきた。

 東日本大震災に伴う福島第1原発事故によって、新たに「フクシマ時刻」を加えた。「未来永劫(みらいえいごう)命あるものが負わねばならない、もうひとつの時間が始まってしまった」。福島に送るはがきの表面に、ヒロシマ、フクシマの両時刻で投函日を印字する。

 大震災当日は、安芸高田市の美術館で個展の初日を迎えていた。コンビニを連想させる商品棚に、古代の生活に欠かせなかった動物の骨や角を陳列。便利さを追求し続ける現代社会で、本当に必要なものは何かを問い掛けるインスタレーション(空間構成)は偶然にも、3・11後の日本社会のあり方を問う作品ともなった。

 偶然はさらに重なった。フクシマ時刻の起点である2011年3月11日をヒロシマ時刻に換算してみると、0066年8月6日―。66年目の「あの日」だった。「これまでの自分の表現が、一つに重ね合わされた思いがした」

ヒロシマ主題

 島根の豊かな自然に親しんだ少年時代が、創作の原点。東京造形大で油彩画を学んだ後、広島県で教職に就いた。1989年、広島市現代美術館(南区)の開館に刺激を受け、立体やインスタレーションの現代美術を制作するように。「妻が被爆2世で、子どもが3世。社会を見つめ、表現を探るうちに、ヒロシマがテーマとなっていた」

 90年代の代表作の一つに、自動販売機にホルマリン漬けの動物の臓器や昆虫標本を並べたシリーズがある。自然を破壊し、人工的な環境に生きる人間を風刺。やがて「人間は自然の一存在に過ぎない」との視点から、核問題を環境破壊の極限と捉えるようになった。

 アーティストでなくても、誰にでもできる表現を目指している。3・11以後、その思いは強くなったという。「一番小さい作品」と呼ぶのは、携帯電話のディスプレーにヒロシマ時刻を表示しただけのもの。はがきの投函による表現もその一つだ。

 4月から、安芸高田市立八千代の丘美術館で、さまざまな人々が思いを刻んだはがきを「作品」として展示する。「今、私たちは世の中を見詰め直す必要に迫られている。一緒にやりましょうと、声を上げることがアーティストの使命と思う」(西村文)

はらなか・こうそう
 島根県六日市町(現吉賀町)生まれ。2000年、第6回公募「広島の美術」大賞受賞。07年、広島県民文化奨励賞受賞。「ヒロシマ・アート・ドキュメント」など多数の展覧会に出品。

(2012年3月3日朝刊掲載)

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