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連載・特集

震災避難者 それぞれの1年 <3> 農地確保 再起へ一歩

高田秀光さん(60)=東広島市 福島県浪江町から、妻、母と

 「母親が先月下旬からこっちに来てね。4日の日曜日は息子夫婦と娘夫婦の家族も遊びに来て、お昼に食事をしたんだ。総勢11人。震災後、初めてでね。楽しかったな」

 東広島市志和町の山あいにある古民家の一室。東京の避難先から引っ越してきたばかりの母利子さん(80)とこたつで向かい合う。  「いつの間にか1年が過ぎた感じ。振り返ってみると、中身の濃い毎日だったよ」

 福島第1原発事故を受け、昨年3月21日、結婚して広島市に住む長女の近くにと、長男家族と一緒に逃れた。市営住宅で帰れる日を待った。だが、国は町のほぼ半分を立ち入り禁止の警戒区域に指定。親から継ぎ、減農薬に取り組んでいた田畑も自宅も奪われた。

 「先祖からの土地を捨てたくない。でも、いつまでも避難者をやってられないから、農業で再起を決めた」

 広島在住の福島県出身者でつくる県人会など、人づてに条件に合う田畑を求めた。8月には、志和町内で農場を経営する会社に研修生として就職。働きながら農地と住まいを見つけて10月16日、市営住宅から現在の古民家に移り住んだ。

 「そろそろ1人でと思い、会社は3月1日で退職した。土づくりはこれからだから、軌道に乗るまで時間はかかる。それでも早いとこ種をまきたいね」

 生活再建への確かな手応えは感じる一方で、迷いは残る。

 「定住するかと聞かれれば、まだ気持ちははっきりしない。分かっていても、浪江のこと考えちゃうんだ。あと10年後には70歳。体が動く間に帰れたらいいな」

 昨年7月と10月の一時帰宅では、時が止まっていた。最近、浪江で近所だった友人たちの避難先によく電話をするという。

 「悩みや集落のことを『ああすっぺ』『こうすっぺ』とか話すんだ。でも電話だけではなあ」

 11日は福島市飯坂温泉で、各地に避難している浪江町の仲間が集まる会合に出る。翌12日は3回目の一時帰宅をするつもりだ。  「農業で頑張って、広島の人にも恩返ししたいんだ」(川井直哉)

<高田さんと家族の1年>

                                                                                                                   2011年 3月21日 栃木県や新潟県などを経由し長男家族と広島に。同居の母親は東京に住む弟宅へ避難
       3月下旬  広島市南区の市営住宅に入居。長男家族も別の部屋に入居
       7月     初の一時帰宅
       8月 8日 東広島市の農場経営の会社に研修生として就職
      10月     2度目の一時帰宅
      10月16日 東広島市へ引っ越し
  12年 2月26日 母親が東京の避難先から合流
       3月 1日 東広島市の会社を退職
          4日 長男家族、長女家族、妻と母親の11人全員が被災後、初めて集まる

(2012年3月9日朝刊掲載)                                                                                                                                 

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