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連載・特集

震災避難者 それぞれの1年 <4> 求職 古里離れる覚悟

金正利さん 岩手県釜石市から妻、長女と

 「こうして笑いながら話してても、頭の中は職探し。不安でいっぱいなんだから」

 妻(34)の実家がある廿日市市の県営住宅に妻、長女(4)と移って約10カ月がたつ。昨秋から広島市内で受けている職業訓練は今月末で終わる。同時に唯一の収入源である失業給付も止まる。これまで飲食店など20社以上の求人に応募し、2月だけでも7社を受けた。

 「面接まで行ってもさ、『震災でどんな被害受けたの』って話ばかり。心配してくれるのはありがたいけど、肝心の仕事の話もせずに帰されたら、興味本位かって悲しくなる」

 震災前に勤めていた水産加工会社は津波で工場が流され、昨年3月末に解雇された。借家は床上浸水。なのに水位が達していないと、義援金はなし。家は引き払った。古里には戻らない覚悟だ。仮設住宅で一人暮らしを続ける母(78)を呼び寄せるためにも、フルタイムの仕事に就きたい。だが、見通しはない。

 「家族でショッピングモールに行っても、目がいくのは掲示板に貼ってある求人票よ」

 部屋には、譲り受けた小型冷蔵庫や布団など最低限の家財道具がある。この冬は、失業給付をやりくりして買った電気ストーブと、知人からもらったこたつで暖を取った。居間に飾った長女のひな人形。釜石の家では押し入れの高い所にしまっていて、無事だった。

 「娘の心の傷がどう現れるか心配。震災後2日間会えなかったからかな、親の姿が見えなくなるときょろきょろし始める。夜は『川』の字の真ん中に寝ないとだめなんだ」

 2月半ば、広島市内であった岩手県物産展に足を運んだ。食品業者で働く知人と再会。家族でよく食べていたケーキやようかんを奮発して買った。

 「これ食べて、普通に暮らしてたんだよ。ちょっと元気が出た」

 半年間の職業訓練で、これまで無縁だった溶接や重機操作など六つの資格を取った。

 「働いて、稼いで、自力で家財道具を買って―。支えてくれる妻と娘を守らなきゃいけないから。諦めるわけにいかないよ」(教蓮孝匡)

<金さんと家族の1年>

2011年 3月11日 津波で岩手県釜石市の自宅が床上浸水。勤務中だった金さんと妻は近くの避難場所へ。
             保育園にいた長女は別の場所に避難 
         13日 金さんはがれきの中、長女を捜し歩いて再会
      5月下旬  妻と長女が廿日市市の県営住宅に入居。1週間後に金さんも合流。夫婦とも仕事を探し始める
      6月上旬  長女が地元の市立保育園に入園
      8月     広島県の就職支援事業の説明会に夫婦で出席
     10月上旬  金さんが広島市中区の職業訓練施設に通い始める
  12年
      3月末   職業訓練を終える予定

(2012年3月10日朝刊掲載)

           

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